大石神ピラミッド
新郷村ミステリーのひとつ大石神ピラミッド 青森県の新郷村にある【大石神ピラミッド】は下方四位が12mの巨石があり、方位石、太陽石、星座石、鏡石まどがおかれ、5万年前のピラミッドと言われています。 新郷村3大ミステリーの一…
新郷村ミステリーのひとつ大石神ピラミッド 青森県の新郷村にある【大石神ピラミッド】は下方四位が12mの巨石があり、方位石、太陽石、星座石、鏡石まどがおかれ、5万年前のピラミッドと言われています。 新郷村3大ミステリーの一…
吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町と神埼市にまたがる吉野ヶ里丘陵にある遺跡。国の特別史跡に指定されています。 吉野ヶ里歴史公園は98棟の弥生時代の建物が復元され、往時の暮らしの風景が再現されています。 体験プログラム…
旅した日:2021年7月 あわら市の観光スポット*一乗谷朝倉氏遺跡に行ってきました。 一乗谷朝倉氏遺跡 一乗谷朝倉氏遺跡は、今から約530年前の文明3年(1471)、戦国大名・朝倉氏が5代103年間にわたって越前の国を支…
縄文海進時代の遺跡 星野遺跡は、栃木県栃木市星野山口付近にある縄文海進時代の遺跡です。 付近は永野川流域にあり、永野川に沿って同様の遺跡が他にも散在しています。 旧石器時代の石器に似た遺物が、畑を耕していた所から発見され…
うつのみや遺跡の広場 5500年前の縄文時代前期の集落跡が発掘され、保存、復元されています。 発掘された貴重な首飾り、耳飾りが資料館に展示されています。5月中旬には、ニッコウキスゲが園内西側斜面に咲き誇ります。 栃木県宇…
尾花沢の銀山は、康正2年(1456年)に金沢の儀賀市郎左衛門という人が発見したという言い伝えがあり、最盛期には島根の石見、兵庫の生野とともに三大銀山と呼ばれ、2万5千人の人々がいました。 しかしその後は銀の量も減り、元禄…
大正時代頃まで山伏(やまぶし)※の居住修行がされていた場所で、山寺(立石寺)を開いた慈覚大師(円仁)の修行宿跡ともされています。 巨大な岩の割れ目からは、水が滴っており、そしてその中間ほどの位置には、不動明王が拝されてい…
西ノ前遺跡公園「女神の郷」は、国宝の土偶「縄文の女神」が発掘された場所に、遺跡の保存と町の誇りとして整備された町民の新たな憩いの場です。 遺跡エリアには、実物のおよそ5倍の大きさの縄文の女神像が立っています。 山形県舟形…
奈良時代、藤原広嗣のたたりで死んだ僧玄昉の頭を埋めたとの伝説のため、頭塔と呼ばれていますが、正しくは、東大寺の僧実忠が国家安泰を祈って築いた土塔の跡といわれています。 方形の封土を3段に築き、その4面に石仏を配列したもの…
長さ5.3m、幅2.27m、厚さ1mの石の平坦な上面に奇妙な溝が彫られているます。 昔、酒の醸造に使用されたという言い伝えから酒船石と言われるがいろいろな説があります。 酒船石遺跡は、奈良県明日香村岡にある、いくつかの石…
日本で初めて調査された洞窟遺跡。 波浪の浸食により形成された自然洞窟と言われ、1918年に縄文時代から続く6層の住宅跡が発見されました。 多数の土器や石器が出土し、弥生時代を中心に20体以上の人骨も発見されています。 こ…
魚津の名を全国に知らしめた「米騒動」の貴重な遺跡です。 明治時代、近代化とともに貧富の格差増大や都市の人口増による米不足、大商人による米価の吊りあげが起こっていました。 その頃北海道への米の輸送船・伊吹丸が魚津町に寄港し…
纒向遺跡は、奈良盆地東南部に3世紀初頭に突如出現、4世紀初めに営まれた大規模な集落跡です。 日本列島最初に都市が形成された地、あるいは「魏志倭人伝」の邪馬台国の最有力候補地、とする考えも存在しており、全国的にも注目度が高…
唐古・鍵遺跡は、幾重もの環濠に囲まれた弥生時代の集落の遺跡です。 約42万㎡(甲子園10個分)という大きな面積を誇ったことや、弥生時代前期から後期まで約700年間もの長い間、途切れずに集落として存在し続けていたことな…
全長272mの前方後円墳。邪馬台国の女王卑弥呼の墓という説もある箸墓古墳です。 箸墓以前の最大級墳墓である「纏向石塚古墳」が長さ90mであるのに対して、箸墓古墳は280m。 全国11位の大きさで、その後350年にわたって…
今から3,700年から2,500年前、縄文時代の後期から弥生時代初頭にかけて集落があったとされる場所が御経塚遺跡です。 1000年以上も続いていた生活の中で、人々は周辺の森でとれたクリ、トチ、ドングリの木の実のほかシカや…
縄文時代前期(約6,000年前)から晩期(2,300年前)までの約4,000年間、人々が住み続けて繁栄した集落遺跡です。全国でもまれにみる長期定住型遺跡で、国指定史跡になっています。 この遺跡から出土した、イルカの骨や彫…
片野海岸の西南端に大きな凝灰岩が多く残り、奇岩怪石が群れをなしています。 いつごろ、どんな長者が住んでいたのか明らかではなく、考古学的には、奈良時代のものと考えられる土師器(はじき)や須恵器(すえき)の破片を見ることがで…
さとはま縄文の里史跡公園は、縄文~弥生時代にかけてのムラの跡です。 当時と地形がほぼ変わらずに残っている貴重な場所で、縄文人が見たままの景色が広がります。 園内入口にある「貝層観察館」には、約2,500年前の貝層をはぎ取…
藤原宮跡は、藤原京の中心施設である藤原宮のあったところです。 藤原宮は一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を…
福井市の南東約10キロ、一乗谷にある朝倉氏遺跡は、戦国時代に朝倉氏五代が103年間にわたって越前の国を支配した城下町跡。 武家屋敷・寺院・町屋・職人屋敷や道路に至るまで町並がほぼ完全な姿で発掘され、国の重要文化財・特別史…
国指定重要文化財の「陸奥国骨寺村絵図」そのままに寺社などが現存していることに加えて、周辺の環境・景観が極めて良好に保たれて、現地に立って絵図の世界を実際に知ることができる大変めずらしい遺跡として、平成17年3月には国史跡…
三代秀衡が造営した無量光院は宇治平等院の鳳凰堂を模しています。 その居館である伽羅の御所に隣接した秀衡寺院でした。 その遺跡のほとんどは水田化していますが、現在でも池跡・中島・堂礎が残っています。 昭和27年の発掘調査の…
昭和26年の発掘調査で発見された遺跡は、立石をともなう石組の配石遺構(ストーンサークル)が注目を集め、国の指定史跡になっています。樺山遺跡は立石をもたないものを含めて約30ヶ所の配石遺構があり、縄文時代の集落跡と見られま…
橋野鉄鉱山は、近代製鉄の父といわれる大島高任の技術指導により、安政5年から翌6年にかけて建設されました。 その後、南部藩が経営。最古の洋式高炉跡として国の文化財(史跡)に指定されています。 三基の高炉跡のほか、水車場跡や…
文献資料にその名がない「幻の柵」 払田柵跡は、秋田県大仙市払田・仙北郡美郷町本堂城廻にある日本の古代城柵遺跡。国の史跡に指定されています。 文献資料にその名がないため、「幻の柵」とも呼ばれています。 軍事施設と行政施設の…
入場無料で遺跡について学べる施設 大湯ストーンサークル館は、縄文時代後期の遺跡である大湯環状列石について学ぶことができる施設です。 土器や耳飾りなどの製作を通じて縄文時代を楽しく学ぶ工房をはじめ、大湯環状列石から出土した…
妙見温泉の西側を200mほど登った山腹にある熊襲の穴。 古代の南九州にはクマソと呼ばれる人々が住んでいました。クマソは熊のように猛々しく、勇ましい人々であったといわれ、古事記では「熊曽」、日本書紀では「熊襲」と書かれてい…
大きい・長い・多いというキャッチフレーズで有名になった三内丸山遺跡 三内丸山遺跡は、江戸時代から知られている有名な遺跡です。 平成4年から始まった発掘調査では、縄文時代前期~中期(約5500年前~4000年前)の大規模な…