魚津の名を全国に知らしめた「米騒動」の貴重な遺跡です。
明治時代、近代化とともに貧富の格差増大や都市の人口増による米不足、大商人による米価の吊りあげが起こっていました。
その頃北海道への米の輸送船・伊吹丸が魚津町に寄港した時、米価高騰に苦しんでいた漁師の主婦ら数十人が、米の積み出しを行っていた大町海岸の十二銀行の米倉庫前に押しかけ移出阻止を求めました。
この事件が新聞に報じられ、米騒動は近隣の村や町、1道3府32県に及ぶ全国的な米騒動に発展し、その後、内閣を総辞職に追い込む事態に発展したのです。
日本の近代史を語る上で大きな事件である米騒動の遺跡は少なく、当時の建物が現存するケースは旧十二銀行米倉の他にはありません。
魚津では米騒動が起きた7月23日を「魚津米騒動の日」として後世に伝えるべく、この地を発祥の地として顕彰しています。
富山県魚津市本町1-2-26