かつて毒ガス島、今うさぎ島な大久野島に行ってきた!広島・しまなみ海道の旅①
旅した日:2017年6月初旬
6月はわたしの誕生日なので、ずっと行ってみたかった広島の島に行きました。
過去毒ガス島で地図から消されていた島、現在はうさぎ島と呼ばれる広島の大久野島。
忠海港から、大三島フェリーで大久野港に向かいます。
大久野島は広島県竹原市忠海町の沖合い3kmに位置し、かつては数戸の農家が耕作を続ける島でした。
昭和2年には,島全体が陸軍の毒ガス製造を目的として管理下となり、戦時中はこの島は地図から消されていたそうです。
周辺の島々も地図から消され、海岸線を走る列車の窓は鎧戸が下ろされていたそうです。
戦争が終わって不要となった毒ガスや化学兵器は、大久野島の島内の地中に埋め込んで処分されたり、焼却されたり、海洋投棄といった方法で処理され除毒措置も施されたそうです。
こんな悲しい歴史を持つ島が、今やうさぎの楽園。
このうさぎたちはどこから来たのか・・・?
諸説あるらしいです
①かつてこの島で毒ガス検知のために飼われていた多数のウサギたちが、終戦後放棄された施設とともにそのまま放置され、そのまま繁殖したという説。
しかし、検知用のうさぎたちはは戦後にすべて処分されたらしい。
②大戦の錯雑にまぎれて生き延びたうさぎが一部存在して生き延びたという説。
戦後、島全体に殺菌・消毒のため厚さ3センチものカルキがまかれていて、植物も育たない環境下でうさぎが生存できる状況ではなかったらしい。
③現在いるうさぎは1971年の休暇村建設後に本土から導入されたもので、島外の小学校で飼育されていた8羽のウサギが島に放されて野生化し、繁殖して現在のようになったという説が一番有力
とにもかくにも、2007年時点の調査で約300羽いたうさぎさん、2013年には約700羽となり、現在も年々増加しているそうです。
大久野島内は、休暇村大久野島が船舶の時刻に合わせて無料送迎バスを運行していますので、そちらに乗り込み休暇村にチェックイン。
バス停でバスを待つ間にすでに大量のうさぎ。
どこを見回してもうさぎ、うさぎ。うさぎうさぎうさぎ・・。
うさぎ過ぎて感動。
というかこんなうじゃうじゃと大量のうさぎを生まれて初めて見ました。
休暇村にチェックインをして、早速島巡りに出かけました。
うさぎを堪能するためには絶対休暇村に宿を取った方がいいです!
島の戦争遺産もゆっくりと見学できるし温泉もあるしおすすめです。
今回わたしはニンジンを細長くカットしたものを持っていきました。
他のお客さんはうさぎのフードを袋ごと持ってきていたりして、かなり気合の入ってる感じでした。
餌類は島内では販売していないので(たぶん、もしかしたら休暇村で売ってるのかも・・行かれる方は要確認してください!)ちゃんと家から持っていきましょう。
このうさぎまみれ感、子供はテンションあがりますよね。
動物の園のふれあいコーナーなんかでウサギやモルモットに触れ合えるのがあるけど、そんなの屁みたいに思えちゃいます。
※注)わたしのこどもじゃありません 笑
毒ガス貯蔵庫跡。こちらも内部は侵入不可です。
1995年に環境庁が実施した土壌等の調査で毒ガス弾由来の砒素汚染が判明したり、赤筒や発射筒が埋まっているところもあったりするみたいです。
この長浦毒ガス貯蔵庫跡は島内最大の貯蔵庫だった場所で、約100tの毒ガスタンクが6基も置かれていたそうです。
こちらは砲台跡です。
こんな感じの建物が島内の色んな所に点在していました。
この砲台跡は友ヶ島にあったものと感じが似ているなと思いました。
今は平和な感じでうさぎがぴょこぴょこしている島ですが、昔は物騒なものが製造されていたんだなぁと思うとなんか切ない気持ちになります。
とにかくいろんなところにうさぎがいるので、島にいる間中きゅんきゅんしっぱなしで、もはや一生分のきゅんきゅんを使い果たしたかもしれません。笑
こちらは発電所跡です。
廃墟好きの間でも人気らしいです。
ガラスは全部割れて窓枠の格子だけが残っている感じとか雰囲気を感じます。
昼間は全然怖い感じはしないけど、夜中とかきたら怖そう。
ここにもうさぎ。
発電所跡の中は立ち入り禁止ですが、内部にはなにも物がなくてがらんどうとしていました。
たまにうさぎがぴょんぴょん跳ねる姿が見えたりして、ごつい景色の中に愛らしいものがある風景がシュールだなとか思いました。
「えさくれー」と足元に集まってきたり、後を追いかけてきたり、本当に可愛すぎる。
大久野島から家に帰って2週間くらいうさロスになってしまい、本気でウサギを飼おうか悩みました。
が、世話できないので思いとどまりました・・。
ちなみに、うさぎは寂しいと死んじゃうっていうのは嘘らしいです。
ひとつ屋根の下でのりピーが演じた小雪のあの有名なセリフはうそってことだったんですねぇ。
子供ながらにめっちゃ信じていたのに。
喫煙許可、時代に逆らっているなぁ
こちらは毒ガス製造器。大久野島毒ガス資料館で見学することが出来ます。
日本軍が毒ガスを製造していたということは、昭和59年まで日本ではほとんど知られていなかったそうです。
化学戦の実態は慎重に秘匿されていて、旧軍関係者以外の日本人はほとんど事実を知らなかったらしい。
休暇村の部屋からの眺め。
夜になってもうさぎ、活動しとった。
窓からぴょんぴょんしているのを眺められるので、なんか幸せ。
翌日はぶらぶら散歩しながら歩いてフェリー乗り場まで向かいました。
海岸沿いにあったうさぎ耳のオブジェ。
耳を当てると風の音や波の音が聞こえました。
ビジターセンター前のうさぎたち。
暑いのでみんな木陰でだらーっとしてます。
なんか不貞腐れてる?笑
しっぽ。
島内には毛の長いうさぎや、短いうさぎや、黒いうさぎや白いうさぎや、茶色いのとか、ちっちゃいのか、大きいのとか、もう、ありとあらゆる種類のうさぎがいました。
後ろ髪をひかれまくりながら、本島の忠海港へ戻ります。
今度はもっと涼しい季節に来てみたいなぁ。
休暇村のポスターに採用されていた、このうさぎが一番かわいかった。
忠海港に到着して、次に向かったのが広島の竹原ってとこです。
以前にソフトバンクのCMのロケ地になった町並み保存地区に行ってみました。
堺雅人とお父さん犬が旅していたあのCMです。
竹原市は、古くから瀬戸内の交通の要衝として発展したそうで、室町時代より港町として知られ、江戸時代後期は製塩業で栄えました。
現在は 『安芸の小京都』 と呼ばれているそうです。
安芸の小京都、あまり観光客もいなくてわちゃわちゃしていなくてよかったけど、若干さみしい感じでした。
お洒落っぽいカフェやご飯屋さんは何軒かあったので、ぶらぶらゆーっくり散歩するにはいいかも。
お土産屋さんとかはあまりない感じで商売っ気がないところがいいなぁと思ったり、思わなかったり。
ウイスキー好きにはお馴染みの「竹鶴」
ニッカウヰスキーの創業者で、「日本のウイスキーの父」と呼ばれる竹鶴政孝の生家もこの地区にあります。
竹鶴政孝のウイスキーにかけた情熱と人生は、NHK連続テレビ小説「マッサン」のモデルにもなりましたね~。
町並み保存地区は個人所有の家々から成り立っています。
この町並みで生活されている方々の迷惑にならないようにしないと!ですね。
一軒一軒の軒先に味があって素敵です。
休暇村 大久野島
瀬戸内海に浮かぶ周囲4キロ程の小島。島内700羽のウサギの島。忠海港から船で約15分。
JR呉線忠海駅より徒歩7分の忠海港より船約15分
桟橋より送迎バス
山陽自動車道河内ICより国道185号経由