白石市の西側、愛宕山の麓にあり、1680年、片倉氏三代景長が、みずから土地を選んで歴代の墓所としました。
花崗岩の玉垣に囲まれて、10体の石造阿弥陀如来坐像が並んでいます。
これは、仙台から石工を招いて造らせたもので、一体ずつ味わいが異なり、一見の価値があります。
延宝八年には、初代景綱と二代重長の墓を傑山寺から移し、以後、当主のみの廟所としました。
しかし、七代村廉夫人は、主家伊達氏の五代藩主吉村の娘であるため、ともに葬られています。
また、そのかたわらに景綱の死に殉じた六名の家臣も埋葬されています。
なお、十一代以降の当主および夫人らは傑山寺を墓所としています。
宮城県白石市福岡蔵本勝坂
片倉家の現在は?子孫はいるの??
独眼竜・伊達政宗のために一生をささげた男、片倉小十郎景綱。
名参謀でありながら、ときには師のように、ときには父や兄のように、公私から伊達政宗を支え、豊臣秀吉や徳川家康も欲しがった人物です。
仙台藩家老・片倉小十郎、そのご子孫は、仙台市の青葉神社宮司、片倉重信さんです。