日本最古の天守閣 丸岡城
日本最古の天守閣。
天正4年(1576年)、柴田勝家の甥勝豊が築城した平山城で、現存する天守閣の中では、日本最古の遺構です。
二層三層の望楼式天守閣で、屋根が笏谷石製瓦で葺かれているのも珍らしい。
天守閣石垣のそばに、本多作左衛門が書き送った「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥せ」の書翰碑が建てられています。
丸岡城は日本のさくら名所100選
丸岡城は別名「霞ヶ城」と呼ばれるように、春満開の桜の中に浮かぶ姿は幻想的でひときわ美しいお城です。
園内には400本のソメイヨシノが植えられ、日本のさくら名所100選に選ばれています。
福井県坂井市丸岡町霞町1-59
JR芦原温泉駅から京福バス永平寺行きで約20分、丸岡城下車すぐ
JR福井駅から京福バス丸岡城行きで約50分、丸岡城下車すぐ
北陸自動車道丸岡ICから車で5分
伝説「人柱お静」
柴田勝家の甥、柴田勝豊が天正四年(一五七六)に丸岡に築城の際、天守閣の石垣が何度積んでも崩れるので人柱を入れるように進言するものがあった。そしてその人柱に選ばれたのが二人の子をかかえて苦しい暮しをしていた片目のお静であった。お静は一人の子を侍に取りたててもらうことを約束に、人柱になることを決意し、天守閣の中柱の下に埋められた。それからほどなくして、天守閣は立派に完成した。しかるに勝豊は他に移封し、お静の子は侍にしてもらえなかった。
お静の霊はこれを恨んで、毎年、年に一度の藻刈りをやる卯月のころになると、春雨で堀には水があふれ、人々は、”お静の涙雨”と呼び小さな墓をたて霊をなぐさめた。
「ほりの藻刈りに降るこの雨は、いとしお静の血の涙」という俗謡が伝えられている。