今庄宿
町並は今もなお、昔の面影を残し、素朴な雰囲気を漂わせています。 角を曲がって路地裏に足を踏み入れると、そこはもう時代劇の宿場町、タイムスリップ気分が味わえるはず。 今庄宿は、2021年8月2日に「重要伝統的建造物群保存地…
町並は今もなお、昔の面影を残し、素朴な雰囲気を漂わせています。 角を曲がって路地裏に足を踏み入れると、そこはもう時代劇の宿場町、タイムスリップ気分が味わえるはず。 今庄宿は、2021年8月2日に「重要伝統的建造物群保存地…
天正6年、柴田勝家が道を改修してから栄えました。 北国街道の入口として初代福井藩主結城秀康以来、関所を設け旅人を取り締まった重要な場所でした。 現存する民家の藁葺の屋根は甲(かぶと)造りで珍しいものです。 営業時間は9:…
今から約300年前、江戸時代初期に建てられた入母屋造りの民家をそのままの姿で復元したもので、国の重要文化財に指定されています。 須波阿須疑神社に仕える12軒衆の中の1軒として伝えられる家柄で、家のつくりからも豪農だったと…
総社大神宮斜め向かいに白壁の蔵が建ち並ぶ通称「蔵の辻」と呼ばれるおしゃれな一角があります。 この地区では江戸時代以降関西から北陸方面への物資の中継基地として栄えており、それぞれ商人たちの蔵が並んでいました。 今は市街地活…
三国湊の豪商森田家が創業した森田銀行の新本店として大正9年に建設されたもので、外観は西欧の古典的なデザイン、内観は豪華な漆喰模様が美しく、県内最古の鉄筋コンクリート造りである。 福井県坂井市三国町南本町3-3-26 えち…
江戸時代初期に建てられた、福井県最古の民家。正面は入母屋造り、背面が寄棟造りの茅葺屋根で、外回りは杉皮張りの壁に障子の白が清楚な美しさをみせている 主な柱は栗材で「ちょうな」や「やりがんな」で仕上げられている。 福井県坂…
「おさごえ民家園」は、福井に生きた先人たちの暮らしを垣間見ることのできる古民家園。 県内を代表する、18世紀前後に建てられた豪農や庄屋などの古民家5棟のほか、土蔵や灰小屋、厠などがそのまま移築・復原されています。 各家に…
明治初期に福井藩の教師として活躍した米国人ウィリアム・エリオット・グリフィス(1843~1928年)の邸宅だった洋館をよみがえらせた「福井市グリフィス記念館」が平成27年10月にオープンしました。 グリフィスが暮らした洋…
詩人、英文学者として有名な土井晩翠の旧居。昭和24(1949)年から亡くなるまでをここで過ごしました。 土井晩翠は、明治4(1871)年仙台市北鍛冶町に生まれ、本名を土井林吉(つちい・りんきち)といいます。 晩翠は第二高…
平成19年に「近代化産業遺産」に認定 夕張鹿鳴館(旧北炭鹿ノ谷倶楽部)は、北海道炭礦汽船株式会社が、役員の交歓や来賓の接待のために大正2年に建築した建物です。 夕張の石炭産業の栄華を象徴する施設として、平成19年に「近代…
平源旅館は、秋田県横手市にある歴史的建造物。 明治6年創業の老舗旅館。 本館、蔵ともに国の登録有形文化財に登録されています。 千家尊福、美空ひばり、石坂洋次郎、石川達三、棟方志功、内田百閒、犬養毅、石橋湛山、伏見宮博恭王…
今津小学校旧校舎「六角堂」は明治15年に今津小学校の校舎として建築された建物です。 正面に六角形に見えるバルコニーを配したモダンな様式で、その形から六角堂と呼ばれています。 現存する小学校の洋風建築としては松本の開智小学…
永楽館は兵庫県豊岡市出石町にある近畿最古の芝居小屋です。 平成の大改修により永楽館は、芝居小屋として一番華やかだった大正11年頃の姿へと忠実に復原されました。 廻り舞台、奈落、花道といった貴重な劇場機構が残っており、現在…
地場産業の振興や新しい産業の創造と工芸やアートを紹介することを目的とした施設としてオープン。赤レンガ造の建物は、新都心のシンボル的存在です。 旧カネボウ洲本工場のパワープラントとして使用されていた産業遺構跡であるレンガ造…
西郷隆盛、3度目の潜居地です。 西郷が愛加那と菊次郎のために建てた新居で、土地の選定にあたっては西郷自ら歩き探したといわれています。 新居は文久元年11月20日に完成しましたが、薩摩藩からの召喚状が届き、西郷がここで生活…
大正10年に建てられた旧八幡郵便局。 ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって1921年に竣工して以来、1960年まで郵便局の局舎として使用されていました。 その後玄関部分が取り壊されたが、2004年2月に復元され一…
楽々園は、玄宮園とともに彦根藩4代藩主井伊直興により建立された彦根藩の二の丸御殿で、槻御殿と呼ばれていました。 現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び分けています。 井伊直興亡き後、倹約令などにより楽々園…
安藤家は、室町時代からこの長浜に移り住んだ旧家で、賤ヶ岳合戦(1583年)では秀吉に協力しました。 秀吉は町衆の中から長浜の自治を委ねる「十人衆」を選び、安藤家はそ の十人衆として町衆文化の一翼を担い、江戸期には十人衆の…
札幌のコスパ宿 北海道の象徴「赤れんが」 札幌の北3条通から西方面を望むと、堂々とした姿で現れる北海道庁旧本庁舎。 「赤れんが庁舎」の愛称で親しまれるこの煉瓦造りの建物は、現在使われている新庁舎ができるまで約80年間にわ…
小樽のコスパ宿 歴史の中で培われてきた小樽の伝統と文化 小樽運河から少し南にあるガラスショップ。 オリジナルガラス製品のほか、石油ランプや酒類も販売しており、小樽で人気の観光スポットのひとつとなっています。 重厚な石造り…
小樽のコスパ宿 北海道有形文化財鰊漁場建築 小樽市鰊御殿は、明治30年、西積丹の古宇郡泊村に建てられたものです。 その後、昭和33年、当時創立70周年を迎えた、北海道炭鉱汽船株式会社が現在地に移築復元しました。 移築後、…
小樽のコスパ宿 異彩を放つノスタルジックな空間 明治45年に北海道有数の米穀商が本社屋として建てた『小樽オルゴール堂 本館』の建物は赤レンガ造りと石造りの2楝からなっており、レンガ造りの店内はひときわ異彩を放つノスタルジ…
小樽のコスパ宿 入場は無料。1億円の重さを体験! 日本銀行旧小樽支店金融資料館は、北海道小樽市にある資料館です。 元は日本銀行の小樽支店として機能していた建物であり、2003年から日本銀行の広報施設として再オープンしまし…
小樽のコスパ宿 ギリシャ建築様式を取り入れた歴史的建造物 かつてこの建物は、第2次世界大戦後に富士銀行が引き継いでから新聞社や飲食店としてにぎわっていました。 昭和初期の銀行建築の典型例で、ギリシャ建築様式を取り入れた立…
小樽のコスパ宿 ニトリホールディングスが運営する歴史香る観光スポット 旧三井銀行小樽支店は、小樽の栄華を映す、歴史薫る銀行建築です。 日本建築界をリードした曾禰中條建築事務所設計による、当時最先端の構造建築と、細部にちり…
歴史的建造物「旧函館郵便局」が「はこだて明治館」に はこだて明治館はベイエリアに建つ複合商業施設です。 ガラス製品、スイーツ、雑貨、水産加工品など、多彩なみやげ店が勢揃い。手作り、貸衣裳の体験メニューも充実。 明治44年…
解体から約140年を経て部分復元された奉行所 箱館奉行所は市民や観光で訪れる人の憩いの場である五稜郭公園のほぼ中央に、解体から約140年を経て部分復元された箱館奉行所。 マツの木に囲まれながらたたずむ姿は、幕末の時代にタ…
レトロな雰囲気がおしゃれなショッピング&グルメゾーン 港町の岸壁に並ぶ赤レンガ倉庫は、横浜や神戸、長崎など各地に点在し、その街のシンボルとなってロマンチックな風情を醸し出しています。 函館も例外ではなく、市内有数の観光ス…
明治時代の柄を再現したリノリウムが復活 明治43年に建てられたこの洋風建築は、その気品漂う内部と華やかな家具や調度品が見どころです。 昭和49年には国の重要文化財に指定されました。 平成30年(2018年)10月から保存…
札幌のコスパ宿 クラーク博士の構想に基づき建設された 「札幌市時計台」は、正式名称を「旧札幌農学校演武場」といいます。 北海道大学の前身である札幌農学校の施設として、初代教頭クラーク博士の構想に基づき、明治11年に建設さ…
この忍術屋敷は、甲賀流忍者五十三家の筆頭格、望月出雲守の住居として、江戸時代に建てられ、現在残っている唯一の本物の忍者の住居です。 外見は普通の茅葺き屋根の農家ですが、内部は、中二階、三階と 隠し部屋があり、入館者自身で…
津軽地方を代表する木造茅葺き住宅 道の駅もりたに隣接する「旧増田家住宅母屋」は、平成9年11月に森田村小中野地区より移築されました。 木造茅葺き一部二階建て、建築年代は明治中期(100年以上前)頃とされ、当時の津軽地方を…
文豪太宰治氏の生家 「斜陽」など数多くの名作を残した文豪、太宰治。 その父親で大地主だった津島源右衛門が明治40年(1907年)に建てた邸宅が、現在の太宰治記念館「斜陽館」となっています。 この記念館には、蔵を利用した資…
中村旅館はこみせ通り目前にある築120年の家庭的なお宿です。温泉はありません。 黒石市浦町1-33 弘南黒石駅より徒歩20分 1泊朝食:6000円~※食事有無により料金は変動。 黒石市 中村旅館 宿泊記口コミブログ 青森…
古代ローマ建築物を思わせる太い円柱となだらかな曲線を描いた回廊 設計者は、北海道大学を卒業して3年目、当時26歳で北海道庁の技師として稚内築港事務所に赴任してきた土谷実氏です。 北埠頭が旧樺太航路の発着場として使われてい…
旭川・層雲峡周辺のコスパ宿 惨劇のあの事件を復元した施設 大正4年冬、身のたけ2.7メートル、体重340キロの巨大なヒグマが同部落を襲い、9人を殺傷した。 ところが事件現場は住民がクマを恐れて下流に引っ越したり、離農した…