延元元年(1336)恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場です。
戦いは厳しさを極め、尊良親王ら300人は籠城から半年後、城に火を放ち自害しました。
中腹の金崎宮には両親王が祀られています。
戦国の世には朝倉・浅井軍と信長・秀吉・家康の戦いの場にもなりました。
小高い山にあるため眺めも良く、桜の名所としても知られています。
金崎宮はなぜ「恋の宮」と呼ばれるのでしょうか?
金崎宮は「恋の宮」と呼ばれるパワースポット♡
その由来は金崎宮で4月の桜の時期に行われる「花換まつり」にあるんです。
「花換まつり」は金崎宮へ桜見物に訪れた男女が「花換えましょう」と声をかけあい、桜の小枝を交換することで思いを伝えたといわれる、ロマンチックなお祭りです。
「花換え」をしたカップルは将来幸せに恵まれるといわれています。
福井県敦賀市金ケ崎町1−4