宝暦5年、洪水に加えて南部藩四大飢饉に数えられる大凶作がありました。
藩全体で餓死・病死6万余人が出、翌年もその影響で遠野領内だけでも餓死者が2千5百人にのぼったとされ、以後も不作や凶作が続いたそうな。
天明3年、大慈寺十九代義山和尚が、たび重なる凶作による餓死者を鎮魂するため、大小五百の自然石に阿羅漢像を彫りました。
それがこの五百羅漢です。
岩手県遠野市綾織町新里31地割
遠野駅から約3Km/駐車場あり
宝暦5年、洪水に加えて南部藩四大飢饉に数えられる大凶作がありました。
藩全体で餓死・病死6万余人が出、翌年もその影響で遠野領内だけでも餓死者が2千5百人にのぼったとされ、以後も不作や凶作が続いたそうな。
天明3年、大慈寺十九代義山和尚が、たび重なる凶作による餓死者を鎮魂するため、大小五百の自然石に阿羅漢像を彫りました。
それがこの五百羅漢です。
岩手県遠野市綾織町新里31地割
遠野駅から約3Km/駐車場あり
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