草津宿
草津宿は、近江国栗太郡にあった東海道五十三次の52番目の宿場で、中山道が合流する宿場です。 現在の滋賀県草津市市街に位置しています。 本陣が現存し、国の史跡に指定されている。 草津宿本陣は大名などの休泊所で、草津に2軒あ…
草津宿は、近江国栗太郡にあった東海道五十三次の52番目の宿場で、中山道が合流する宿場です。 現在の滋賀県草津市市街に位置しています。 本陣が現存し、国の史跡に指定されている。 草津宿本陣は大名などの休泊所で、草津に2軒あ…
琵琶湖博物館は「湖と人間」をテーマに数百万年にわたる琵琶湖の歴史や湖と人との関わりを、見て、触って、体験できる感動いっぱいの博物館です。 日本最大級の淡水魚類展示の見どころは、まるで琵琶湖の中を歩いているようなトンネル水…
飛び出し坊やは、ドライバーに子どもの飛び出し注意を促す、交通安全の看板です。 運転中一度は見かけたことがある方も多いのでは? 実はこの飛び出し坊や、発祥は滋賀県東近江市なんですよ! 今では全国区となった飛び出し坊やですが…
八幡堀は、安土・桃山時代に豊臣秀次の八幡山城居城のもと、城下町が栄える原因となった町の一大動脈です。 近江商人の発祥と発展、また町の繁栄に八幡堀は大きな役割を果たし、江戸時代後期には近江国において大津と並ぶ賑わいを見せた…
古くから近江商人の信仰を集め、二大火祭の「左義長まつり」と「八幡まつり」は国の選択無形民俗文化財とされています。 約4万4000平方メートルという広大な神域はエノキやムクの樹が生い茂り、その下を通り抜けて楼門をくぐると、…
長命寺は長命寺山の標高約250mの山腹にある寺院です。 開基は聖徳太子と伝えられており、「寿命長遠」の御利益があるとされています。 8808段の長い石段を上ると、重なり合う美しい諸堂、古代の伝説が残る巨石群、そして琵琶湖…
近江八幡の「丁字麩」は四角。 これは近江八幡の町並みを模して作られた、といういわれがあります。 丁字麩には両面に線が入っていますが、これは街の小路を示すもの。 城下町に住む人々を忘れないようにするための印だとか。 近江の…
織田信長が安土城を築いた滋賀県近江八幡市では、全国でも珍しい赤いこんにゃくが慣れ親しまれてきました。 これは派手好きな織田信長がこんにゃくまで赤く染めさせたとか、近江商人が全国を行脚している際にこのような奇抜なアイデアを…
西の湖は、琵琶湖の東南岸、滋賀県近江八幡市にある湖です。 現存する琵琶湖の内湖では最大の面積。2006年11月1日に鳥獣保護区に指定され、2008年10月30日には琵琶湖のラムサール条約湿地登録エリアに追加されました。 …
瑞龍寺はJR近江八幡駅の北西約3km、八幡山山頂にある八幡城本丸跡の寺院です。 安土・桃山時代に、豊臣秀次の母であり秀吉の姉である瑞龍院日秀尼公が、秀吉に自害させられた秀次の菩提のために、京都の村雲に創建しました。 その…
近江兄弟社の本社1階ロビーを「メンターム資料館」として無料開放し、創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の歩んだ足跡を写真パネル展示しています。 また、ここで販売している近江兄弟社商品の売上代金は全額をチャリティ基…
近江八幡城は市街地のすぐ北側、標高271.9mの八幡山山頂にあります。 安土城が落城してから3年後、豊臣秀次が築いた城です。 現在は石垣を残すのみですが、本丸跡には秀次菩提寺の村雲御所瑞龍寺が京都から移築されています。 …
教林坊は西暦605年、聖徳太子によって創建されたと伝わり、林に囲まれた地で教を説かれたことから名づけられました。 ご本尊の観音さまは同じく聖徳太子作で、赤川観音と呼ばれ、困難な願いも二度参れば叶う「再度参りの観音」と信仰…
大正10年に建てられた旧八幡郵便局。 ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によって1921年に竣工して以来、1960年まで郵便局の局舎として使用されていました。 その後玄関部分が取り壊されたが、2004年2月に復元され一…
JR近江八幡駅の北方約2km前後の新町周辺は、古い町並みが保存されています。 江戸時代末期から明治にかけて建築された商家が整然と残る町並みは、近江商人のふるさととして、その保存運動が展開されています。 滋賀県近江八幡市新…
天空の僧院 観音正寺。 日本で唯一、聖徳太子が人魚のために開基した寺院です。 観音正寺は、今から約1400年前、聖徳太子によって、標高433メートルの繖山の山頂に開創されました。 聖徳太子は湖水から浮かび出てきた人魚と出…
近江八幡市から琵琶湖の沖合約1.5㎞に浮かぶ沖島は、琵琶湖最大の島です。 島には約300人の住人がおり、ネコがたくさんいることで有名です。 市内への交通手段はもちろん船。通学、通勤用に定期便も運行されています。 長命寺山…
JR安土駅の北東、標高199mの安土山一帯にある織田信長の居城跡。 国指定の特別史跡です。天正4年から織田信長が約3年の歳月をかけて完成しました。 安土・桃山時代の幕開けとして築城されましたが、織田信長が倒れた本能寺の変…
ラ コリーナ近江八幡は、自然を愛し、自然に学び、人々が集う繋がりの場。 八幡山から連なる丘に、緑深い森を夢み、自ら木を植え、小川を作り、生き物たちが元気に生きづく田畑を耕しています。 というなんだかスローライフで良きコン…
彦根城のお堀にかかる京橋からすぐ。 白壁と黒格子の町屋風に統一された街並みは江戸時代の城下町をイメージしています。 和菓子屋、洋菓子屋、地元ならではの商品を扱うお店が軒を並べ、古き時代と新しい時代の薫り漂う「OLD NE…
姫路城、松本城、犬山城、松江城とともに国宝に指定されている彦根城。 天守をはじめ、重要文化財の各櫓、下屋敷の庭園である玄宮園、内堀・中堀などが当時の姿を留めています。 全国的に見てもきわめて保存状態のよい城跡で、年間を通…
銀座商店街の歴史は古く、石田三成の佐和山城を彦根山に移築し、現在の城下町がつくられた頃に商店街の原型となる川原町・土橋町が作られたといわれています。 両町が昭和26年に合併し現在の銀座町となりました。 現在は「人にやさし…
彦根城の東北の方角、大洞山の中腹にある真言宗醍醐派の寺院。正式には長寿院ですが、日本三大弁財天の一つといわれる弁財天坐像を安置していることから大洞弁財天と呼び親しまれ、商売繁盛を祈願する人々でにぎわっています。 急な石段…
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。 日本最古の書物「古事記」によると、この両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、我国の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みに…
井伊家の菩提寺として、また父井伊直政の墓所として直孝が開基した曹洞宗永平寺派の寺院。 釈迦牟尼如来を本尊とし、諸国から高僧を招いたので修行道場としての名声が高まり、多い時には2百余名の雲水が修行をしていたといわれます。 …
白砂の浜が1km続き、松林も美しい浅瀬の水泳場で家族連れでにぎわいます。 鳥人間コンテスト選手権大会の会場としても知られています。 *バーベキュー等火気の使用については禁止です。 彦根市松原町 彦根駅より車で10分 名神…
2005年に新しく生まれ変わった四番町スクエアは、「大正ロマンあふれるまち」をキャッチコピーに、モダンな外観で統一された建物と、広場に設置されたガス燈、ところどころに置かれたモニュメントなど、新しくてどこか懐かしい出会い…
明治9年に官祭招魂社として創建され、後「護國神社」と改称されました。 明治戊辰の役から西南の役、日清・日露戦争さらには大東亜戦争に至る滋賀県出身の戦没英霊を祭祀し、今は世界平和を願い祈る参拝者が数多く訪れています。 滋賀…
楽々園は、玄宮園とともに彦根藩4代藩主井伊直興により建立された彦根藩の二の丸御殿で、槻御殿と呼ばれていました。 現在は、建物部分を楽々園、庭園部分を玄宮園と呼び分けています。 井伊直興亡き後、倹約令などにより楽々園…
玄宮園は、江戸時代には「槻之御庭」と呼ばれていました。 隣接する楽々園は槻御殿と呼ばれ、延宝5年(1677年)、4代藩主井伊直興により造営が始まり、同7年に完成したと伝えられ、昭和26年には国の名勝に指定されています…
天保13年に彦根藩12代藩主井伊直亮が、井伊家の始祖井伊共保の750回忌にあたり、井伊谷(現静岡県)八幡宮から井伊大明神を分霊して神像を造り、龍潭寺の参道脇に祀ったのがはじめとされます。 また、彦根藩初代藩主直政・彦根藩…
「あのベンチ」は、滋賀県の琵琶湖畔にひっそりと置かれたベンチです。 正式名称のないベンチはライダーの間でひそかに有名になり、「あのベンチ」と呼ばれる様になりました。 大きな木にもたれかかるように設置された木製のベンチは、…
清瀧寺徳源院は中世、北近江を支配した京極家の菩提寺です。 江戸時代、京極高豊が集めた京極家歴代34基の宝篋印塔が並ぶ京極家墓所は国の史跡になっています。 春には京極道誉が愛したと伝えられるしだれ桜が見事に咲き誇り、秋には…
地蔵川は、居醒の清水などから湧き出る清水によってできた川で、大変珍しい水中花「梅花藻」で有名です。 水温は年間を通じて14℃前後と安定しており、貴重な淡水魚である「ハリヨ」も生息しています。 また、「居醒の清水」は、平成…
背景の山畔を利用した枯山水式の鑑賞庭園で池庭的景観をも呈する趣のある眺めが特徴です。 全園にわたって豊富な石組を景とし、美しい植栽が石とよく調和しています。 特に中島の石組が力強く、傑出しています。 池の中央に蓬莱島、背…
平安中期の天台僧浄蔵により水源がひらかれた名水です。 初めは浄蔵水と呼ばれていましたが、泉の近くに十王堂があったことから十王水と呼ばれるようになりました。 中山道沿いに醒井観光客用無料駐車場があり、歩いて地蔵川沿いのすぐ…
醒ヶ井は、清流・地蔵川沿いの風景が美しい小さな街です。 江戸時代には五街道の一つ・中山道の61番目の宿場町として栄えていました。 その当時に大名が利用していた施設は現在に至るまで大切に保存・復元され、歴史を今に伝えていま…
鯖そうめんとは、その名の通り、鯖とそうめんを使った昔ながらの滋賀・長浜の郷土料理です。 焼いた鯖を甘辛いしょうゆ味のだし汁で煮込み、その煮汁で味付けしたそうめんと共に食べる珍しい料理なんです! 鯖街道 さばめん・たいめん…
三島池は周囲約780m、面積3万9000平方メートル、今から700年ほど前に、農業用水池として造られた楕円形の池です。 三島神社との関係が深く、昔から鳥獣や魚貝類が保護されてきました。 日常の水位50cm前後で、水質は清…
湖北・長浜の地域では、家庭でさば寿司をつくり、集落の祭礼などおめでたい行事や自宅で行われる結婚式など、ハレの日の当家のおもてなし料理として大事なお客さんに振る舞われてきました。 さば寿司には、棒寿司、焼さば寿司、姿ずし、…
加茂神社は米原市醒井に鎮座する神社です。 すぐ近くには醒井の湧き水「居醒の清水」がいつもコンコンと湧き出ています。 この水は古代日本皇族であるヤマトタケルノミコトが伊吹山の神との戦いに敗れ、醒井の地で湧き水により一命を取…
長浜名物「のっぺいうどん」 滋賀県長浜市で明治時代から食べられている料理で、しいたけ、湯葉、麩、かまぼこ等の具を、出汁汁と土しょうがで煮詰めたあとに、片栗粉や葛粉でとろみをつけた「あんかけ」をうどんにかけたものです。 の…
伊吹山は滋賀県の最高峰の山で標高約1377mです。 日本百名山のひとつで、岐阜県との境界をなし、山頂からは眼下に琵琶湖、比良、比叡の山々や日本アルプス、伊勢湾まで一望の大パノラマが広がります。 古くは『古事記』や『日本書…
ローザンベリー多和田は自然に囲まれた静かな山あいに広がる13,000㎡もの広大なイングリッシュガーデンです。 バラやクレマチスや四季折々の山野草が植栽され、1年を通して様々な風景を楽しむことができるスポット。 園内には、…
グランスノー奥伊吹は、滋賀県米原市甲津原奥伊吹にある関西エリア最大級の規模を誇るスキー場です。 雪質・積雪量ともに信州のスキー場に優るとも劣らず、多彩なコースでスキー・スノーボードが楽しめるほか、雄大なびわ湖や北アルプス…
北国街道 木之本宿は地蔵院の門前町として栄え、北国街道と北国脇往還が交わる宿場町で、旅人と木之本のお地蔵さんの参拝客で賑わいました。 木之本宿には昭和の初めまで中央に小川が流れ、柳の木が植えられた宿場らしい風情を残してい…
余呉湖は「羽衣伝説」や「菊石姫伝説」がのこる神秘の湖で、1周約6.4Kmの湖畔には山口誓子や斎部路通などの句碑があり、俳句大会が行われるなど俳諧を楽しむ方が多く訪れています。 四季をとおして美しい湖で、サイクリングやハイ…
豊国神社は長浜城主豊臣秀吉公を祀る豊国神社です。 お社には、秀吉公と共に恵比須様が祀られ、毎年1月十日戎で賑わいます。 豊太閤に参拝のあとは、境内右隣の出世稲荷にもお参りして太閤さんにあやかろう!秋には武者行列もあります…
長浜鉄道スクエアは現存する日本最古の長浜旧駅舎を中心に、日本の鉄道文化初期の時代と長浜の発展を見ることが出来る鉄道文化館、本物のSL列車とディーゼル列車が展示された北陸線電化記念館を合わせた施設です。旧長浜駅舎は、現存す…
安藤家は、室町時代からこの長浜に移り住んだ旧家で、賤ヶ岳合戦(1583年)では秀吉に協力しました。 秀吉は町衆の中から長浜の自治を委ねる「十人衆」を選び、安藤家はそ の十人衆として町衆文化の一翼を担い、江戸期には十人衆の…