旅した日:2013年
長崎グラバー園で、鹿 on 猫 in 台風。
グラバー園への楽チン近道”グラバースカイロード”
ご覧のとおりの台風SKY
エレベーターでグラバー園へ・・・3階で降りてくださいと長崎市さんがご丁寧にご案内。
グラバー園というのは、グラバー、リンガー、オルトの旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築している観光スポットみたい。
安政6年(1859年)、横浜、函館とともに開港した長崎には、南山手、東山手を中心にたくさんの洋館が建ち並んでいました。
その大切な遺構を出来る限り保存しようとしてグラバー園が作られました。
現在のグラバー園には数多くの洋館が点在し、西洋の雰囲気を醸し出しています。
こんな感じの洋館がいっぱいある長崎を代表する観光地らしい。
長崎の港。
鯉のえさを購入して、池でばら撒くと
イレグイ状態。うじゃうじゃです。
鯉のえさ目当てに、鳩が襲来。
そして、猫。
そして鯉のえさを食べる猫。鯉にも、鳩にも、猫にも人気のこの鯉のえさって何でできてるんだろう・・。
ひとしきり鯉のえさを貪って、マターリしはじめる猫。わたしのかばんの上でくつろぎはじめる・・・
そしておもむろに例のやつを猫に仕掛けてみる。
いつもやつ。ズームアウトすると・・・・
鹿 on 猫
長崎に来てまで、猫と戯れるのもナンなんで・・・グラバー園をぶらつく。
洋館とか
さらに洋館が続き
旧ウォーカー邸とか。ところでウォーカーさんって何者?
※この住宅の主人ロバート・ウォーカー二世の父イギリス出身のロバート・ネール・ウォーカーは、1874年(明治7)に来日。1876年(明治9)に日本政府より甲種船長の免許を受け、三菱系列の会社と日本郵船に勤務しました。退社後、一旦イギリスに帰国しましたが、1895年(明治28)再び来日。1898年(明治31)に「R.N.ウォーカー商会」を設立し、海運業を中心とした貿易事業を幅広く展開しました。また、1904年(明治37)には、「バンザイ清涼飲料工場」を開業、ジンジャーエールなどの大量生産に成功したのち、会社を次男に託し、晩年はカナダで過ごしました。
グラバー園で、私のもっとも萌え~スポット。
フリーメイソン・ロッジの石柱!!
「信じるか信じないかはあなた次第です」の都市伝説に良く出てくる、なぞの集団フリーメイソンですよ・・・これは都市伝説ファンとしてはたまらんですよ。
”この門は、松ヶ枝町47(旧小曽根町海岸通り47番)の住宅で入口の門です。
柱頭の彫刻は、フリーメーソンのマークで石工(メーソン)の使ったコンパスと定規を組み合わせたものです。
使用された石材が開港初期に居留地で盛んに使われた天然石であり、1865年(慶応初年)頃、47番の借地人がイギリス人であったことから、当時イギリスから渡来したフリーメーソンの人々が最初に定着したこの地に彼らのロッジのシンボルとしてのマークをかかげたものと思われます。・・・BY長崎市”
そして引き続き洋館
グラバー住宅。ここで激しく雨がまた降ってきたぁぁ・・・・・・なにせ台風が近づいてるので・・・他の観光客もいなくなりました・・・・
窓の外、スーパー豪雨中。グラバーさんちで足止め中。
グラバー園の外のお土産屋さんロード。
台風なので、まったく観光客いません・・
観光地ってこういう千円ショップ、絶対あるのはなんでだろう・・・・・
グラバー園の近くの大浦天主堂に来ました。
大浦天主堂は、長崎県長崎市にあるカトリックの教会堂で、1865年(元治2年)に建立された日本最古の現存するキリスト教建築物。正式名は日本二十六聖殉教者堂。
教会の中にはものすごく綺麗なステンドグラスがありました。
だけど写真はNGなので外観のみです。
教会の中では熱心にお祈りしていらっしゃるキリスト教信者の方も沢山いて、写真を撮ったりできる雰囲気はNein。
ベンチに座ってマリアさまの像やステンドグラスをぽーっと眺めているだけでなんだか神聖な気持ちになります。
神聖な気持ちになった、にもかかわらず、いつものやつ。
天主堂近くにある、カステラ神社。お土産屋さんのようです。
グラバー園エリアから、ブラブラ歩いて本日宿泊のホテル方面へ。
今回の宿は出島の湯ドーミーイン長崎!
長崎新地中華街の目の前のめちゃくちゃ便利なホテルです。しかも大浴場あり!
長崎の中華街は、だいぶショボかった・・・日本の3大中華街、横浜の中華街、神戸の南京街、長崎の新地、全部行ったことがあるけど、横浜>神戸>長崎でした。
これだ!っていうお店がなかったので、中華街で夕食にすることはあきらめて、またホテル周りをぶらぶら。
今日の夕食はここ!海鮮丼の種類がいっぱい。
海鮮丼でビールを3杯飲んで、ほろ酔いでホテルに帰って大浴場に入ってこの日は早めに就寝。
明日は平和祈念館と亀山社中にいくぞー!