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西本願寺

京都にある西本願寺は浄土真宗本願寺派の本山です。
正式には龍谷山本願寺といい、西本願寺とも呼ばれています。
浄土真宗は親鸞聖人によって開かれました。親鸞聖人の滅後、末娘の覚信尼が中心となり、廟堂を建て、聖人の遺骨と影像を安置しました。
やがてこの廟堂が本願寺となりました。
16世紀末、本願寺の寺基が現在の地に定められ、御影堂や阿弥陀堂を始め、唐門、飛雲閣など数多くの国宝が建ち並ぶ寺院です。
また、世界文化遺産「古都京都の文化財」にも登録されています。

京都府京都市下京区

京都の世界遺産の一つ「西本願寺」

■本願寺のいわれ、
実は、筆者の場合も東京から始めて新幹線で京都を訪れた時、何はともあれ世界遺産の西本願寺を訪ねたのでした。
直ぐ近くには東本願寺もあり、そもそも本願寺とは浄土真宗のことで、法然が起こした浄土宗を、親鸞が更に新しい思想の下に興したのが浄土真宗で、別名・本願寺派(一向宗、門徒宗とも通称される)とも言われます。

■戦国期の信長と本願寺
戦国期、信長は石山本願寺(蓮如のときに摂津国石山・現在の大阪市中央区に建てられ、後に浄土真宗の大本山となった寺院)を降伏させます。
この後、関ヶ原戦後の江戸幕府を開く時、徳川家康は本願寺のすぐ東(六条烏丸)の土地を「教如」(石山本願寺の第12代門主)に与え、最大の宗教勢力であった本願寺の勢力分散を図ったわけです。
これによって本願寺は、西本願寺(現在の浄土真宗・本願寺派)と東本願寺(現在の真宗大谷派・真宗本廟・)とに分裂することになったのです。
東西の本願寺は、この時点から現在まで存続していて、即ち、京都駅前に建つ両寺院がそうなのです。

■西本願寺の御影堂
さて、西本願寺の訪問です。
JR京都駅から歩いて行くと、堀川通に面してまず目に入るのはお寺を囲む築地塀とお堀です。
この西本願寺の目の前に薫玉堂という老舗の御線香があって、記念に線香を一箱購入しました。
堀川は今は空堀の状態ですが、そして左手が御影堂門が煌びやかに立っていました。
この総門は別名を高麗門と呼ばれる形式の門なのですが、古文書で見られる限りでは、門の建立後ここに落ち着つくのに3回の移築がされたそうです。
移転の理由は交通量の増加とともに、その対応で京都市が堀川通拡張を計画し、その要請で西本願寺が門前の土地を売却したそうです。
親鸞聖人の700回忌の記念事業として、この門を補修し再び移築されたのが現在の形になっているそうです。

■京の三閣寺の一つ飛雲閣
御影堂の前の大銀杏のところには、これまた大きな蓮型の水盤が配置されています。
そして正面の御影堂は明治時代に出来たそうで、この建物は世界最大の木造建築物だそうです。
世界一だから世界遺産に登録され・・?、とは限りませんが。
隣接する阿弥陀堂もナカナカ総大です。 
この日は、春の法要でもあったらしく、西本願寺の国宝である飛雲閣と書院の特別公開がありました。
特に飛雲閣は煌びやかで北山の金閣寺、それに東山の銀閣寺と並んで、京の三閣寺院と呼ばれているようで、その見事な建物には圧倒されるばかりです。 

■国宝の唐門
昔の人はどの様な知恵や技量でこのような建物を建立したのだろうと、今更ながら驚くばかりです。
更には、常に公開されてる国宝の唐門へ至りました。
豊臣秀吉の伏見城の遺構とも、聚楽第の遺構とも言われているそうで、お寺の門の山門とは異なって、派手好みの秀吉らしい建物です。
この門は栃木県の日光の陽明門(世界遺産)が日暮門(ひぐらしのもん)という別名が付いていますが、こちらの門も多彩な装飾が施されていて、一日中見ていても飽きが来ない例えから、同様に「日暮らしの門」という別称が付いているそうです。

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