1466年、喜界島は大島諸島の中で唯一琉球王国への忠誠を拒み続けていました。
これに対し、当時26才の尚徳王は自ら軍を率いて喜界島討伐に乗り出しました。
ここ「御殿の鼻」は尚徳王が率いる兵2千余、軍船50余隻を最初に島民が迎え撃った場所だと伝えられています。
その後、数日に渡る戦いの末、 喜界島は琉球王軍に制圧され島の首長は打ち首になります。
当時の島の首長一派は平家の残党だったともいわれ、名門平家の誇りが琉球からの支配を拒み続けた要因だったのかもしれません。
また、この場所はノロが集まり祭祀を行う祭場でもありました。
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