2024年6月中旬~3ヶ月間日本一周の旅に出ます!

三十三間堂

全長約120mの本堂をもち、堂の内陣柱間が33あるところから呼び名がついた。正式名称は蓮華王院。「日は永し、三十三間堂長し」と、あの夏目漱石も感嘆の声を挙げた本堂の中には1001体の千手観音立像と28体の護法神像、風神・雷神像、千手観音坐像が安置され、本堂と併せすべて国宝。毎年1月中旬には恒例の弓引き初めの行事の「通し矢」と、やなぎの枝で参拝者に法水をかけて無病息災を祈る「楊枝のお加持」が行われる。殊に成人女子の晴着にたすき掛けの競射は、正月の風物詩となっている。
※ご利益:頭痛平癒

京都府京都市東山区三十三間堂廻り657

目次

三十三間堂 旅行記

京都に鎮座する寺社仏閣は数あまたで、どの観光雑誌を覗き見てもその多さに驚きを隠せない。古都・京都の街並みは、どこを切り抜いても絵になるのがうらやましい。

10年ぶりの京都旅行。ゆこうと決めた時、修学旅行ではどこへ行ったかと友人と話になったが、当時は中学生。古き良き街並みに興味があるわけでも無し、そんなに記憶に残っていなかった。
金閣寺、銀閣寺、千本鳥居に八ツ橋。縁結び神社で岩と岩の間を歩いたから、清水寺には行ったかもしれない。どこかの坂を登りきるのに、転んだらお嫁にゆけなくなるだの死ぬだのと皆で騒ぎ、鹿に鹿せんべいをやる。すべてが薄っすらとしていて、その程度の記憶であった。

そうして訪れれば、季節はまた秋。紅葉に照らされた建造物や庭たちは、年に一度の晴れ舞台とばかりに魅惑的に輝き、どこを取ってもその佇まいに息を呑む。
紅葉は時にぱらぱらと舞い降り、私たちの視界を奪い、足元には秋が積もる。
10年という年月の経過とともに、ものを見る目も変わったということだろう。その一瞬をどうしても写真に納めたい、そんな風に思う場面がたくさんあった。

あわよくばゆっくりと、京都のすべてを巡りたいがそれはなかなかに叶わない。
互いに吟味し合って決めた中に、三十三間堂があった。候補に挙げたのは他でもない、友人だ。
この時の私たちはまだ若く、どこまでも歩くことができた。京都駅近くの滞在先から、徒歩にして30分ほどの道のり。いや、さすがに疲れたが、そんなことはどうでもいい。

蓮華王院 三十三間堂。言わずと知れた国宝である。
ここへ赴いた時の記憶が未だ脳裏に焼き付いていて、恐らくはまた同じ場所にたどり着くことの無い限り、あの景色は私の記憶の中で、かたちを変えぬまま消えることは無いだろう。

しかし、先に話してしまえば正直、三十三間堂には元より興味がなかった。かの神社のような極彩色に彩られた社殿があるわけでも無し、お堂に映える紅葉が咲き誇るわけでも無し、ただ広く砂利が敷き詰められた境内に、三十三間のお堂が建つ。興味をそそられる風景は無いと、そう決め込んでいた。
なのにどうして。着いて早々、私は“脱帽”することとなる。
その堂内に入るまでの私はきっと、人知れず、自分でも気づかぬ間にもの寂しい別次元にいたに違いない。

中へ入るには、履物を脱ぎ進まなければならない。まだ秋といえど足元は凍える寒さだった。
私は友人の後を、ただ付いて回った。堂内は、古くからの静寂さが保たれていた。そしてそこに足を踏み入れた瞬間、私の眼と脳とからだは硬直した。

千体千手観音立像。ずらりと並ぶその堂々たる観音像の集団は、何とも言えぬ荘厳な輝きを放ち、佇んでいた。
私はおののき、一歩すら踏み出すこともできず、言葉も出ずにただ合掌した。当分のあいだ私はあらゆる言語を失い、ただ合わせた手を小さく胸に抱いていた。

自分と同じ顔の観音様があるかもしれない、と友人が言った。
私は合掌したままその一体一体の表情を見やり、息を飲んでしずしずと横切っていった。無数の観音像はこちらを見ようとはせず、ただ正面を向いている。彼らはどこか別の境地にいて、私なんぞ豆粒ほどにも及ばない、そう感じた。

人工物を超越した、千体の観音像。いつからかそこに佇み、長らく信仰の象徴となってきたのだ。
私は仏教徒ではない。しかし、いざここに入れば私の体、心、想いのすべてが無となり、何の効力もなくただ小さなあぶくとなって、胸の内の感動を感じているほかできることがなかった。
一体ずつに挨拶をしたくなる衝動を押さえて、私たちは静かにその場を後にした。

写真を撮ることは禁じられていた。もし撮ることが許されたとして、はたして写真に残すことが正解だったかは分からない。
その景色は視覚を通して映像となり、私の記憶の一部となった。

いつしかあなたが三十三間堂へ参り、あの観音立像と出会うことがあれば、私は心底あなたをうらやましく思う。
そして今でも感謝している。私を導いてくれた、友人に。

京都府/三十三間堂(蓮華王院) ある年の話

京都に鎮座する寺社仏閣は数あまたで、どの観光雑誌を覗き見てもその多さに驚きを隠せない。古都・京都の街並みは、どこを切り抜いても絵になるのがうらやましい。

10年ぶりの京都旅行。ゆこうと決めた時、修学旅行ではどこへ行ったかと友人と話になったが、当時は中学生。古き良き街並みに興味があるわけでも無し、そんなに記憶に残っていなかった。
金閣寺、銀閣寺、千本鳥居に八ツ橋。縁結び神社で岩と岩の間を歩いたから、清水寺には行ったかもしれない。どこかの坂を登りきるのに、転んだらお嫁にゆけなくなるだの死ぬだのと皆で騒ぎ、鹿に鹿せんべいをやる。すべてが薄っすらとしていて、その程度の記憶であった。

そうして訪れれば、季節はまた秋。紅葉に照らされた建造物や庭たちは、年に一度の晴れ舞台とばかりに魅惑的に輝き、どこを取ってもその佇まいに息を呑む。
紅葉は時にぱらぱらと舞い降り、私たちの視界を奪い、足元には秋が積もる。
10年という年月の経過とともに、ものを見る目も変わったということだろう。その一瞬をどうしても写真に納めたい、そんな風に思う場面がたくさんあった。

あわよくばゆっくりと、京都のすべてを巡りたいがそれはなかなかに叶わない。
互いに吟味し合って決めた中に、三十三間堂があった。候補に挙げたのは他でもない、友人だ。
この時の私たちはまだ若く、どこまでも歩くことができた。京都駅近くの滞在先から、徒歩にして30分ほどの道のり。いや、さすがに疲れたが、そんなことはどうでもいい。

蓮華王院 三十三間堂。言わずと知れた国宝である。
ここへ赴いた時の記憶が未だ脳裏に焼き付いていて、恐らくはまた同じ場所にたどり着くことの無い限り、あの景色は私の記憶の中で、かたちを変えぬまま消えることは無いだろう。

しかし、先に話してしまえば正直、三十三間堂には元より興味がなかった。かの神社のような極彩色に彩られた社殿があるわけでも無し、お堂に映える紅葉が咲き誇るわけでも無し、ただ広く砂利が敷き詰められた境内に、三十三間のお堂が建つ。興味をそそられる風景は無いと、そう決め込んでいた。
なのにどうして。着いて早々、私は“脱帽”することとなる。
その堂内に入るまでの私はきっと、人知れず、自分でも気づかぬ間にもの寂しい別次元にいたに違いない。

中へ入るには、履物を脱ぎ進まなければならない。まだ秋といえど足元は凍える寒さだった。
私は友人の後を、ただ付いて回った。堂内は、古くからの静寂さが保たれていた。そしてそこに足を踏み入れた瞬間、私の眼と脳とからだは硬直した。

千体千手観音立像。ずらりと並ぶその堂々たる観音像の集団は、何とも言えぬ荘厳な輝きを放ち、佇んでいた。
私はおののき、一歩すら踏み出すこともできず、言葉も出ずにただ合掌した。当分のあいだ私はあらゆる言語を失い、ただ合わせた手を小さく胸に抱いていた。

自分と同じ顔の観音様があるかもしれない、と友人が言った。
私は合掌したままその一体一体の表情を見やり、息を飲んでしずしずと横切っていった。無数の観音像はこちらを見ようとはせず、ただ正面を向いている。彼らはどこか別の境地にいて、私なんぞ豆粒ほどにも及ばない、そう感じた。

人工物を超越した、千体の観音像。いつからかそこに佇み、長らく信仰の象徴となってきたのだ。
私は仏教徒ではない。しかし、いざここに入れば私の体、心、想いのすべてが無となり、何の効力もなくただ小さなあぶくとなって、胸の内の感動を感じているほかできることがなかった。
一体ずつに挨拶をしたくなる衝動を押さえて、私たちは静かにその場を後にした。

写真を撮ることは禁じられていた。もし撮ることが許されたとして、はたして写真に残すことが正解だったかは分からない。
その景色は視覚を通して映像となり、私の記憶の一部となった。

いつしかあなたが三十三間堂へ参り、あの観音立像と出会うことがあれば、私は心底あなたをうらやましく思う。
そして今でも感謝している。私を導いてくれた、友人に。

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