JR岐阜駅北側にある岐阜市繊維問屋街。
その始まりは、昭和20年代と言われます。
戦争で焼け野原となった岐阜駅周辺(旧国鉄岐阜駅前)に、北満州から引き揚げてきた人たちが、古着や軍服などの販売を始め、ハルピン街と呼ばれ、岐阜繊維問屋街の始まりとされています。
岐阜のアーティストさんによる壁画が描かれていて暗い雰囲気の問屋街がアートな空間になっていました!!
ポップでカラフルお洒落な扉。カフェっぽい感じでした。
日本成長期の昭和に(生まれてないけど)タイムスリップしたような感覚になる懐かしくて切ない感じ‥不思議な雰囲気の商店街。
高度経済成長期に隆盛を誇った岐阜繊維業の中心地ともいえる商店街は、現在はシャッター街となり、廃墟のような趣もありますがまだまだこれからも頑張ってほしい!
岐阜繊維問屋街の歴史
繊維問屋街は、戦後、戦地の引き揚げ者らの手で同駅前にできた、通称「ハルピン街」が発祥です。
当初、飲食店の店舗十数軒でしたが徐々に古着の店舗群に変わっていき、その後、現在の日ノ本町、西問屋町へ移転。
現在の問屋町周辺の地域へと再び移り、アパレルの一大地域として発展しました。