奥の院墓地は高野山の中でも特に霊気あふれる場所で、弘法大師空海の霊廟へと続く参道にあります。
約2キロメートルにわたる参道には、歴史的な人物や著名な企業の墓など、約20万基の墓石や供養塔が並んでいます。
この墓地は、紀貫之や徳川家康など、日本の歴史に名を残す多くの人物の墓があることでも知られています。
訪れる際には、その厳かな雰囲気と歴史の深さを尊重する姿勢が求められます。
高野山に武将の墓が多いのはなぜ?
高野山に武将の墓が多い理由は、この地が真言密教の聖地であり、特に弘法大師空海に対する信仰が深いからです。
816年に空海が嵯峨天皇からこの地を賜り、以来、多くの人々がこの霊地に惹かれてきました。
また、弘法大師の墓がある奥の院には、武将を含む多くの人々が埋葬されていると言われています。
56億7000万年後に弥勒菩薩と共に蘇ると信じられている弘法大師に近くで眠ることで、蘇りの瞬間を共にするという願いが込められています。
この信仰により、多くの供養塔が建てられており、そのほとんどには実際の遺骨は納められていないことが多いです。
特に有名な武将の中には、織田信長や武田信玄、上杉謙信、石田三成、明智光秀、豊臣家の人々の供養塔があります。
これらの武将の墓は、彼らが生前に示した弘法大師への篤い信仰や、後世における彼らの名誉を保つためのものであると考えられています。
信長に関しては、彼の残虐な行為を悔い、死後は弘法大師の近くで眠りたいという逸話が残されているものの、実際のところは弘法大師の説法を聞くための「席取り」という伝説もあるようです。