常照寺は、1616年に日乾上人によって開創され、鷹峰檀林と呼ばれました。
「吉野門」として知られる山門は、天下の名妓である吉野太夫が日乾上人に帰依し、篤い信仰心をもって、23歳の若さで巨財を投じて寄進したものです。
彼女は美しい容姿に加え、茶湯、華道、香道、書、俳句、和歌、三味線、囲碁など多彩な芸術に秀で、情に厚く、品性を備えていたという逸話まで残っています。
26歳の時に豪商の灰屋紹益に身を許し、結婚します。その後、38歳という若さでこの世を去った彼女は、遺言に従い、常照寺本堂裏の墓地に葬られました。
毎年4月の第2日曜日には、吉野太夫花供養が行われます。
京都府京都市北区鷹峯北鷹峯町1
吉野太夫って誰?
松田徳子、通称吉野太夫は京都で生まれ、7歳の時に遊里に預けられました。14歳で二代目吉野太夫の名跡を継ぎ、その美しさゆえに天下の名妓として称えられるようになりました。
全盛期の彼女は井原西鶴の「好色一代男」に前代未聞の美女として記され、その容姿の美しさは遠く中国にまで伝わりました。
吉野太夫の死の悲しみを詠んだ句「都をば 花なき里になしにけり 吉野を死出の山に移して」