なかむらや旅館は飯坂温泉のシンボル鯖湖湯の前にある温泉宿。国登録有形文化財の佇まいは日本の歴史を物語る土蔵造り。ノスタルジックな情緒とこころ温まるおもてなしがうれしいお宿。
趣のあるレトロな宿。飯坂温泉なかむらや旅館は古からの伝統を大切に守り続けてきました。
福島県福島市飯坂町湯沢18
JR東北新幹線 福島駅より車で25分
飯坂温泉なかむら也旅館 宿泊記
心が落ち込んでいるときは温泉に限ります。その中で一番のおすすめは福島県・飯坂温泉の「なかむら也旅館」です。
2015年の3月、会社からリストラされた私は、失意のどん底にいました。
失業保険の手続きを済ませてから帰る途中で、本屋の壁に貼ってあったある雑誌の販促ポスターが目に入りました。
「この冬のおすすめ温泉一覧」に心をひかれ、その雑誌を手にします。
その中で福島県・飯坂温泉の「なかむら也旅館」が紹介されていました。
記事に掲載されていた建物の写真が時代劇に出てくるような外観で、時代小説が好きな私は一目惚れしました。
「これが見たい」という気持ちが体を動かしました。
帰宅後、雑誌に掲載されていた電話番号にかけると、受話器から耳に心地いい声が流れてきます。
旅館に泊まりたいと伝えると、平日ならいつでも予約ができるとの返事だったので、翌日の宿泊を予約しました。
予約を終えるとその足で、JR・みどりの窓口に向かいます。
いつもならバイクで現地に向かうのですが、3月の東北地方は道が凍結している可能性があるから、バイクは危険と考えたからです。
でも、私は鉄道で旅した経験がありません。
東京から東北に向かうのは初めてなので困りました。
そこでJR・みどりの窓口の方に行き方を教えてもらうと、東北新幹線があることがわかり、楽にいけると安堵したことを今も覚えています。
旅程が整い、持っていく荷物も用意でき、翌日になるのを楽しみにして布団に入ります。
遠足を楽しみにする子供になった気分でした。
当日、新幹線にのって東京に到着後、初めて東北新幹線に乗りました。
車窓から見える海や山の景色、関西弁が聞きとれない車内の雰囲気にワクワクします。
JR福島駅を降りると、重ね着しても肌をさすような寒さに驚きました。
所変わると寒さも変わるようです。福島交通飯坂線に乗り換え、最終駅の飯坂温泉駅に向かいます。
平日昼の乗車客は高齢者ばかりで、ときどき彼らの視線を感じました。
飯坂温泉駅に到着して駅を出ると、観光客の姿はどこにもありません。
建物は近代的でも、時代劇に出てくるような落ちぶれた村に来たのかと思いました。
駅員に旅館の場所を聞き5分ほど歩くと、写真以上に時代劇の雰囲気を感じさせる外観に驚きました。
玄関をくぐって目にしたのは、8段飾りの雛人形でした。
人形の肌を見ると白さがすすけて、衣装も修繕された箇所がいくつも見られ、何代にも渡って使われてきた感じが見えます。
雛人形に目を取られている間に、「いらっしゃいませ」と声がしました。
声の主は予約時に対応してくれた方で、旅館の女将さんでした。
電話より生声のほうが耳に心地よく、柔らかな笑顔で迎えてくれました。
館内に入ると、時代劇で見たことのある大福帳や囲炉裏、使い込まれた柱に調度品の数々を目にしました。
読んでいた時代小説の中に入ったのかと思うほどにです。
「ここにくる人は時代劇が好きな人も多いので、お時間ありましたら少し館内をご案内しましょうか」と女将さんから声をかけられたので、お願いしました。
天井に書かれた絵、木製の温泉分析表、季節ごとに飾られる屏風、庭に生えている花や植物、江戸から明治にかけて作られた調度品など、事細かに教えてくれます。
時代劇が好きでなくても、目の肥やしになります。
館内の温泉は源泉ですが、旅館の近所にある共同浴場・鯖湖湯とは違います。
鯖湖湯は50度以上あり、熱い湯に慣れている人でも大変な熱さです。
私は先に鯖湖湯を利用したので、館内の温泉を遠慮しようかと思いました。
でも、館内の温泉は鯖湖湯より温度が低いので、ゆっくりと入浴できます。
夕食は季節に合わせた色取りで、味だけでなく目でも楽しめる料理です。
このとき出てきた「お麩の味噌田楽」は、味噌の味と麩の香りが最後まで口の中に残り、次の料理に手をつけるのがもったいないと思うほどでした。
部屋にはテレビがありましたが、つけるのがもったいない気分でした。
壁にかけられた振り子式の時計の音、外から聞こえる猫の鳴き声、車も通らない静寂な空気。
時の流れが穏やかで、その雰囲気に包まれながら眠りに落ちました。
翌日、携帯に電話がかかってきました。
相手はハローワークで、条件にあう求人があるのでどうかという内容でした。
その電話を受けるまで、私は失業中だったことをすっかりと忘れていました。
「なかむら也旅館」のような建物で過ごしているうちに、時代小説にあらわれる登場人物のひとりになりきっていたのかもしれません。
あれから転職も無事にでき、今も同じ会社で忙しく働いています。
時代小説を読むと、「なかむら也旅館」を思い出します。あのゆっくりとした時の流れに、また身を任せたくなる旅館でした。