由良要塞
由良要塞は、大日本帝国軍の要塞の一つで大阪湾防衛の目的で紀伊半島と淡路島の間の紀淡海峡周辺に作られた要塞です。
現在はその遺構の大部分が失われてしましたが、淡路島の生石公園には生石砲台群の遺構を見学することが出来ます。
砲台跡、棲息掩蔽部が残り、破損した砲身が展示されています。
生石展望台
生石展望台は、淡路島の南東端にある生石公園内の展望台です。
近くには文久3年 (1861)に設置された台場跡があり、森の中にはレンガ造りの遺構が見られます。
大阪湾と紀淡海峡が一望でき、遠く大阪、正面には和歌山の町も望めます。
地元住民には朝日の名所としても親しまれています。
生石公園散策、由良要塞を見学してきました
旅した日:2023年4月
要塞があるのは、洲本温泉街からほど近い由良地区という場所です。
ナゾのパラダイスや由良漁港も近くアクセスしやすい穴場スポット。
紀淡海峡に面していて、成ヶ島も目の前というロケーション。
南淡路水仙ラインから岬に向かって細い山道を登っていく感じになります。途中、対向車とすれ違うの難しそうな場所もあるので要注意。
駐車場は第1駐車場、第2駐車場があります。
生石公園は全部を見てまわろうと思うとかなり広いので時間がかかるのとアップダウンが激しいので結構疲れます(笑)
ハイキングだと思ってくると散策コースも整っているのでいいと思います。
第2駐車場からすぐの場所にある生石山堡塁跡。
生石山堡塁跡に現在展示されている砲身は、ここに記載してある生石山第四砲台に配備されていた27センチ加農砲です。
この砲台跡地を整備工事した際に、地下から出てきたんだそうです。
生石山堡塁は南および西側の灘方面からの道路を見下ろす位置にあり、生石山南部の海岸から上陸してきた敵などから生石山全体の砲台と軍事施設を守るために建設されました。
砲座の外側には煉瓦造りの浅い塹壕が半円形に取り巻いており、下から登ってくる敵を小銃や機関銃で射撃できるように設計されています。
煉瓦の上から木が生えていて、この塹壕が建設されてから長い時間が経過したことを感じさせます。
塹壕跡は展望台へと続く散策路に繋がっています。
紀淡海峡を眺めながら展望台方面へ。
途中、淡路島 出石神社があります。
出石神社は、兵庫県洲本市に鎮座する神社で 「出石の刀子」出現の地として日本書紀にその伝説が記されているパワースポットだそうです。
また、神社の境内には、海賊との戦いで切腹して果てた侍たちが祀られているのとことで、夜来たらちょっと不気味かもしれない・・・怖い。
神社の近くには生石展望台も。
大阪湾と紀淡海峡が一望でき、遠く大阪、正面には和歌山の町も望める絶景ポイントです。
生石公園自体が淡路島での穴場なのか、他の観光のお客さんがいないので、しずかにぼーっと海を眺めることが出来ます。
風が気持ちよくておにぎり持ってきて1日この場所で読書したり昼寝したりして過ごしたら気持ちよさそうだな。
公園内にはいくつか砲台跡や砲台群跡があるのですが、がっつりフェンスに囲まれていて近くで見学することが出来ませんでした。
なんとなく散策路から「っぽい」感じの遺構を見学する感じです。
友ヶ島の遺構も見学したことがあって、その時は中に入れたり近くで見学できたりしたんですが、生石公園の遺構は見学の自由度は少ない感じです。
第1砲台跡は車道からも近くて一番見学しやすい遺構だと思います!
第2駐車場から近いので、あんまり時間がない方は、もうここだけ見学する感じでもいいかも(笑)ほかの遺構は見てもよくわからないので・・・
要塞跡が見学テラスになっています。第1砲台も近くで見学することはできませんが、朽ちて行くレンガの建造物に強い存在感を感じます。
日中の明るい時間帯だと森林浴気分で戦争遺構を見学できるけど、夕暮れ~夜の時間帯は色んな意味で怖そうな場所なので、勇気のある方は・・・
由良要塞 事件
1927年10月25日 (昭2)
兵庫県津名郡(淡路島)の由良要塞で、人夫(20)が門崎砲台監守舍に押し入って就寝中の軍曹(27)の頭を棍棒でめった打ちにして殺害、軍曹の妻(20)を縛ってレイプして4円18銭を強奪して逃走、犯人捜索隊に加わり軍曹の死体を病院に運んだりしていたが逮捕された。陸軍基地で人夫になったため金には不自由せず映画やエロ本に熱中し、17歳から遊廓通いをしていた。青年団員の郵便貯金集金係として集めた19円を遊びのため使い込んでしまい、盗みを思い付いたもの。この年の銀行員大卒初任給70円。
深く罪を悔いている様子を見せていたが、11.27の夜10時に洲本刑務所を脱獄した。枕で布団を膨らませ、アルミニュームの弁当箱を頭の代わりにして寝ているように見せかけて、隠し持っていた古釘一本で天井板を破り、天井裏を通って電話線修理用の扉から出たもの。育ての親である叔父宛に「脱獄して大阪に逃走する」という内容の手紙を出してから、小さな漁船を盗んで帆を張って流れの激しい海峡を夜中に渡って和歌山市まで逃走、11.29に捕まった。「一度外へ出てみたくてたまらず、紀州へ上がり活動写真を見たら面白かった」と語る。一審二審とも死刑判決。
洲本ICより20分