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吉崎御坊跡

500年の伝統が息づく国指定史跡。浄土真宗中興の祖・蓮如上人が北陸での布教の中心拠点に選んだ場所で、現在でも付近一帯は「蓮如の里」と呼称されており全国からの参拝者が絶えません。
毎年4月末から5月にかけて盛大に開かれる「蓮如忌」は吉崎最大の伝統行事として賑わいます。

福井県あわら市吉崎2丁目

吉崎御坊とは

吉崎山(御山)とは、北・西・南の三方を北潟湖に囲まれた天然の要害で、海抜33m程、面積約2万平方メートルの小高い丘で、この山の頂に吉崎御坊がありました。
文明3年(1471年)7月27日、比叡山延暦寺などの迫害を受けて京から逃れた本願寺第8世法主蓮如が、本願寺系浄土真宗の北陸における布教拠点として越前吉崎にある北潟湖畔の吉崎山の頂に建立したのが「吉崎御坊」です。この地で蓮如は教義を民衆にわかりやすく説き、時には御文(「御文章(ごぶんしょう)」)を用いたり、「南無阿弥陀仏」の六字名号を下付したため、御坊には北陸はもとより奥羽からも多くの門徒が集りました。また、御坊周辺の吉崎一帯は坊舎や門徒の宿坊などが立ち並び寺内町を形成していました。

吉崎御坊 嫁おどし

吉崎御坊には、有名な「嫁おどし伝説」が伝えられています。
意地悪な義母が嫁を吉崎御坊に行けないように鬼の面をかぶって脅したというお話です。
しかし、この母親の顔から鬼の面が取れなくなってしまったため、吉崎御坊へ連れて行って、阿弥陀(あみだ)さまに一生懸命お祈りをしたところ、今までびくともしなかった面が、ポロリとはずれたのです。
それからは母親も心を入れかえて、三人は仲良く吉崎御坊へ通ったという事です。

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