日本三大仏に数えられる高岡大仏は、地元の銅器製造技術の粋を集め、1907年より26年の歳月をかけて完成したものです。
はじまりはおよそ800年前、承久の乱をさけて越中に入道した源義勝が木造大仏を造営したことだといわれています。
その後何度も荒廃や焼失といった危機にあいましたが、人々の願いにより再建を繰り返し今の形となっています。
出来栄えが素晴らしいことから、日本一の美男とも呼ばれ銅器日本一の高岡の象徴的存在で愛され続けています。
富山県高岡市大手町11-22
■JR新高岡駅から車で約10分
■能越自動車道高岡ICから車で約10分
高岡大仏はなぜ作られたの?
高岡大仏が作られるきっかけとなったのは、火事。
江戸と明治の大火で2度の焼失を経験し、火事に強い銅像にすることとなりました。
地場産業である高岡銅器のさらなる発展への願いも込め、職人たちの技術力を結集して昭和8年に完成しました!
高岡大仏はだれが作った?
鎌倉時代に源義勝という人が、二上山のふもとに仏像を作り、前田利長がこれを町中に移したのが高岡大仏の始まりと言われています。
今の高岡大仏は、その基壇がお堂になっていて、中には木造 の大きな仏頭が安置されています。