2024年6月中旬~3ヶ月間日本一周の旅に出ます!

壬生寺

壬生寺は幕末には新選組の兵法調練場としても使われ、武芸や大砲などの訓練が行われた新撰組ゆかりの寺です。
境内の壬生塚には近藤勇の胸像や芹沢鴨らの墓があり、現在も新撰組ファンが多く参拝に。
正暦2年に快賢僧都により創建された律宗の寺院。本尊は延命地蔵菩薩。
中興の祖である円覚上人が身振り手振りで仏教を広めるために行った融通念仏がもととなった壬生狂言が有名です。
春と秋、節分の際に境内の大念仏堂(狂言堂)にて演じられ、京都では第一号として重要無形民俗文化財に指定されています。
境内拝観無料、壬生塚・歴史資料室200円

京都府京都市中京区壬生梛ノ宮町31
市バス「壬生寺道」下車徒歩約5分

新選組の聖地 京都/壬生寺 訪問記

2019年9月に新選組の聖地として有名な京都の壬生寺に行ってきました。
奇しくもパンデミック前に楽しめた最後の旅行でした。

毎年12月31日に妻と娘そして母を連れて旅行に行っていました。
しかし2019年の年末にはコロナの影響で旅行へ行くのも難しくなりそうな雲行きでしたので、日程を早める事にしました。
その年は母の要望で京都四條南座で歌舞伎を鑑賞することに決定。

幕末史の好きな私はせっかく京都に行くなら新選組のゆかりの地、壬生寺を見る事も提案しました。
妻と娘は京都に行って美味しい物が食べられるなら、歌舞伎でも新選組でも何でもOKとの事で私の提案も簡単に承認されました。
私にとって京都観光は、高校の修学旅行以来になります。
当時は金閣寺、銀閣寺、清水寺などの超メジャーな名所だけの観光でした。
今回は自分の好きな所を好きなように好きなだけ楽しむ、まさに大人の贅沢です。

壬生寺は、正暦2年(991年)に建てられた由緒あるお寺です。京都市中京区壬生に位置し、大宮駅西口から徒歩で約6分の場所になります。
文久3年(1863年)、結成当初の新選組が壬生に屯所を置き、兵法の訓練場として利用していたのが壬生寺の境内です。
武芸の訓練はもちろん馬術や大砲の訓練までやっていたそうです。
今は砂利が敷かれているだけのありふれた境内ですが、当時は本堂前の線香立てがある場所に砂を盛りそこに向け大砲を撃ち、その際に境内の瓦が壊れてしまったそうです。
当時のことを想像すると幕末とは言えあまりの傍若無人ぶりにビックリします。

お寺側は、本尊・地蔵菩薩の縁日にあたる日だけは訓練をしないように申し出ていたそうですが、壬生寺の寛容さにもビックリします。
壬生寺境内の東方には池があります。今は大きなミドリガメが大量に生息しております。私が数えただけでも20匹以上が池の端で日向ぼっこをしていました。
新選組がいた当時は魚やスッポンが生息しており、新選組が相撲興行を壬生寺で企画した時には、力士に池の魚とスッポンを料理して振舞ったそうです。
お寺の池の魚とスッポンを勝手に取って料理して食べてしまったとは、これもまたビックリする出来事です。
池の中央に小さな島があります。そこは壬生塚と呼ばれ新選組のお墓があり、近藤勇をはじめ11人の隊士が祀られています。

壬生塚の中でひときわ目を引くのが平成11年(1999年)に建立された三橋美智也氏の代表歌「あゝ新選組」の石碑です。
石碑には「あゝ新選組」の歌詞が刻まれており、三橋美智也氏が新選組の衣装を着て歌っている姿もプリントされています。
ビックリするのは、石碑のとなりに置かれている石にピンポンボタンが付いていて押すと「あゝ新選組」の歌が聞けます。
幕末当時は新選組の傍若無人さに壬生寺も辛い思いをされていたと思いますが、今となっては、私のような幕末史好きのオタクが新選組の聖地として連日訪れているので、壬生寺にせめてもの罪滅ぼしが出来ているのかと思います。

新選組の始まりの地、京都壬生寺

秋が深まり、「京都の紅葉が見ごろを迎えています」という夕方のニュースに、お馴染みの某CMそのままに「そうだ京都へ行こう」と思い立ち、休みを利用してふらりと新幹線に飛び乗って向かった12月初旬の京都。
完全に無計画で降り立った京都駅は、盆地だからなのか関東よりも芯から冷えるような冷たさを感じる。
昼過ぎの京都駅は平日でも人が多いが、まだ以前のように海外の観光客でごった返しているような状態ではなく、ちょっと安堵した。
しかし人が多い事には変わらないので、一先ず観光客を避け、五条駅付近の宿まで歩いてみる事に。
取り合えず京都駅の周りを一周してみると「不動堂明王院」に下げられた提灯に、「新撰組幻の屯所」の文字。気になって調べてみると、こちらはかつて新選組が屯所として使っていたと言われている場所なのだとか、しかし屯所とされた建物も資料も残っておらず、使用していた期間も短いとされているため「幻」とされているそうだ。京都に着いて早々に目にした歴史の文言が新選組…今回は新選組の始まりの地を旅しよう!京都に来るのも思い付きなら、その目的もその場の思い付きで決めてみた。
そうと決まればと、立派な東本願寺を横目に歩き五条付近のホテルに荷物を預け、いざ壬生へ。
途中腹ごしらえに、五条駅から裏路地に入ったとこにある「石清」で寿司と肉うどんを食べる。地元民が通う、安くて早い、腹いっぱいになる寿司屋だ。観光客がいない静かな空間で、関西の優しい出汁のきいた肉うどんが冷えた体に染みてすごく美味かった。
そこからバスを調べるのも面倒なので、さらにそこから30分ほど歩いて、壬生寺に到着。
そこまで人も多くなく、静かに見て回ることができた。
新選組ゆかりの地ということ以外であまり有名ではないかもしれないが、創建は991年とされる由緒ある寺だ。新選組が屯所としていた当時は、寺の人間をはじめ周辺住民は新選組を快く思っていなかったとされている。時代が変われば人物や組織の評価も変わるもんで、現在は寺の有料敷地の庭には、新選組局長近藤勇の銅像や初代局長でお隣の八木邸で新選組により暗殺された芹沢鴨など、多くの新撰組隊士の墓がある。資料館には寺の歴史や貴重な狂言の面、新選組の資料も拝見することができる。
由緒ある寺に荒くれ者の新選組(当初は壬生浪士組と呼ばれていた)などが入ってきて、寺の物を壊すなど相当な厄介ものであったことが伺える資料は、ドラマのきれいごとだけではない史実の新選組を知ることができる。

すぐお隣には新選組最初の屯所となった八木邸が資料館として当時のまま残されている。現在は表で和菓子屋を営んでおり、そちらで拝観申し込みをするとガイドと菓子抹茶付きで、八木邸の一部を観ることができる。
ガイドは年配の男性で、この道何十年のような語り人。八木邸で起こった芹沢鴨の暗殺をメインに、壬生浪士組の結成から新選組になるまでをわかりやすく解説してくれる。
有名な鴨居に残された刀傷も拝むことができるが、貴重な物を触る輩が後を絶たなかったため、現在は刀傷の上にアクリルのカバーが取り付けられている。
刀傷が残る鴨居や実際に芹沢が命を落とした部屋に小説やテレビで観た史実を観ることができるのはもちろんだが、柔らかくきしむ畳や、現在は使われていないという土間や小さな階段、そこかしこに感じることができる確かにあった江戸時代の暮らしというのもとても貴重な物だ。
ガイドは日本語のみしか対応していないとのことで、私の後に訪ねてきた一人で観光している外国人男性が残念そうに屋敷を出て行ったのが忘れられない。海外の人にもこの貴重な屋敷を体感してもらいたいと思う。
新選組の始まりの地を旅しながら感じられる、京都の街並みと歴史はとても印象深いものだった。

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