明智光秀が朝倉氏に身を寄せていた時の住居跡。
天正3年(1575年)、柴田勝家が一向一揆を鎮めるために、現在明智神社のある東大味地区に兵を送り込もうとしたが、光秀は住民を守るため勝家に申し入れをしたと伝えられています。
現在に至るまで、東大味の人々は光秀を慕いこの神社を守り続けてきました。
年に一度、光秀の命日である6月13日のみ御開帳が行われ、本尊である光秀の木像を見ることができます。
明智光秀の娘・細川ガラシャ(明智珠)の生誕地でもあります。
福井県福井市東大味町
北陸自動車道福井ICから車で40分