北条時宗が建立した禅興寺の塔頭(禅興寺は明治初年に廃絶)。
開基は上杉憲方で、開山は密室守厳です。
境内を埋める数千本のアジサイは見事で、シーズンには多くの人で賑わいます。
神奈川県鎌倉市山ノ内189
拝観時間:9時00分開門~16時00分閉門
神奈川県/明月院(通称あじさい寺)訪問記
そう、確かあれは友人と三が日に鎌倉に行こうということになって、途中の駅で待ち合わせをしていった時の話しだ。
大抵の人であれば、初詣は鎌倉の玄関口、鶴岡八幡宮にゆくだろう。
ただ私たちの場合は鎌倉好きが高じて、どれだけの込み具合で、どれだけ頑張っても八幡様の賽銭箱までにたどり着けないことを熟知していた。
そのため鎌倉にはまずいかず、いつもの散歩コースの北鎌倉で下車した。
私は大船方面から向かうが、必ず北鎌倉を散策したのち、徒歩で鎌倉に行くことに決めている。
北鎌倉こそ、真の鎌倉の風情を感じられると思っているからだ。
駅前からなんとも静かな佇まいで、今日は本当に元旦かと疑うほどにいつもと変わらず、或いはいつもより人が少なかった。
鎌倉駅となればそうはいかないだろう。
慣れた足取りで線路わきを行き、途中こまごまとした開店前の店を眺めながら、友人とその先に向かった。
その寺院は、とても名の知れた丸窓がある。
私はてっきりはるか昔にどこかの坊さんが、この丸窓をこしらえたのかと思っていたがそうではないらしい。
後付けなのだと当時お寺の人に聞いたのか、はたまた配布されたパンフレットに書いてあったのか。
そんな記憶がぽつりと残っている。
福源山明月院、通称あじさい寺は、地元からも観光客からも愛される、正門から中をのぞけば小ぢんまりとしたように感じるお寺だ。
実際は奥に長く、なかなか見ごたえのある庭が広がる。
この時期は奥の庭まで入れないのが残念だが、奥もまた絶景なのでぜひ一度は拝観をお勧めする。
明月院といえばやはり紫陽花が有名だが、その紫陽花見たさに行こうとすれば混み合うので、こんどは時期をずらせばばっさりと、その花の首を切り落とした後の参道を歩く羽目になる。
隅々まで手入れがされており、きちんと花の時期を見極め、いつ切り戻せばよいのか心得ているのだ。
参拝者はその美しい花々を、景色の一部にしてよく撮影をしている。
私たちはまず参拝をして賽銭を投げ入れ、新年の挨拶と今年も家族たちの無事を願う。
そして寒さに凍える体で本堂内に移動し、ぽっかりとあいた丸窓からしずしずとその風景に浸る。
時期になると混み合う明月院も、元旦の早朝にはとても閑散としていて、皆「初詣は八幡様」と決めているのだと悟る。
そんなことをふと思い馳せながら、私と友人は丸窓の前でゆっくりと庭を眺め、当時は茶と茶菓子の用意がされていて、皆セルフで上がり込み、勝手知ったるという風に茶を注いでストーヴを囲み、くつろぐ。
ずいぶんとぼうっと過ごして、他の客と二言三言会話をし、そろそろ行こうかという時間になると、こんどは来た道をどんどん下って行って、途中に見える洋館に立ち寄る。
その後はもう、特に予定は立てず行き当たりばったりである。
今はもうなくなってしまったが、北鎌倉から鎌倉方面に進むとコロッケの美味しい店があった。
必ず寄って食べ歩きながら、結局のところ引き返して電車で向かった方がよいのではと思うほどの距離を歩き、古と現代が入り交ざる町、鎌倉へ向かう。
細い歩道を永遠と、行き交う人々と会釈をしながらようやくたどり着いたのは八幡様の境内の外、右側の道。
ここではあえて“右側”と記そうと思う。
神社正面から見れば本来“左側”なのだが、八幡様から見れば“右側”なのだ。
神社では左大臣と右大臣が社殿を守っていることがあるが、神様から見て左側なのか右側なのかで配置が決まるそうだ。
境内の外では初詣を終えた参拝客、これから詣でたいが停められず右往左往する車たち、着物を召した人、洋服で参拝する人、家族連れ、恋人同士。
色んな人でごった返していた。
私の初詣は、すでに終わりを告げていた。
北鎌倉よりここまでの道すがら、とても清々しい気持ちとなっていた。
まだ昼前で初詣を終えたばかりだが、この後何をしようかなんて特別決めていなかった。