入来は、鎌倉時代に地頭職であった関東の渋谷氏がこの地に入り「入来院」と名乗って支配した荘園でした。
昭和4年アメリカのエール大学の教授朝河貫一氏により入来院家に伝わる「入来院家文書」が翻訳され、『入来文書』として刊行されたことによって有名になりました。
入来麓は薩摩藩麓の一つで中世の名残を残す町並みとしてよく保存されていることから、2003年12月に鹿児島県では知覧武家屋敷群、出水麓武家屋敷群に次いで国(文化庁)の重要伝統的建造物群保存地区(武家町)に選定されました。
鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名130