2024年6月中旬~3ヶ月間日本一周の旅に出ます!

鋸山 日本寺

鋸山は南房総国定公園に指定され、稜線を境に、北は富津市、南は鋸南町となっています。
標高329メートルの低名山として四季を通して親しまれ、車、電車、フェリーを使ってもアクセスも良いことから、観光客の絶えない人気の場所となっています。
江戸時代から昭和60年まで房州石(ぼうしゅういし)を切り出しており、山肌や稜線がギザギザのノコギリのように見えることから「鋸山」と呼ばれています。

日本寺は約1300年前、聖武天皇の勅詔を受けて、行基菩薩によって開かれた関東最古の勅願所です。
鋸山の南側斜面10万坪余りを境内としており、豊かな自然の中を散策しながら、大仏様、百尺観音像、千五百羅漢石像群などをお参りすることができます。

千葉県安房郡鋸南町・富津市

千葉県/鋸山 日本寺 訪問記

登山とは、“大胆に疲れるが大いなる達成感に包まれる摩訶不思議な行為”であると私は思う。
登っても登っても、届かない終わり。山頂かと喜べば山腹の休憩所であったり、急な斜面を頑張ったかと思えば新たな難所が目前に現れたり、木の根にすべる小川を横切る羽目になったり。
近所の舗装された道とは、ずいぶんとかけ離れた足場が私たちを待ち構えているのだ。

登山をしていると、人間とは米粒のようにちっぽけだと思ってしまう。まるで砂山を登るアリと同じではないかとすら考える。山に入ると、同じ地球に居ながらも別世界に放り込まれた感覚に陥る。そして山頂に到達した時の達成感は清々しいもので、際に立ち、一帯の景色を一望すればさっきまでの苦労に蓋ができる。
自分を追い詰め極限状態にまで陥るこの行為は、達成すれば日ごろ得られないような感情と風景を知ることができる。
登山とはやはり、“大胆に疲れるが大いなる達成感に包まれる摩訶不思議な行為”であると実感する。
私の登山経験は指折り数えるほどで、素人中の素人。しかも、行きは登るが帰りは下らずという経験ばかりである。“下らず”というのは、自力で下山せずロープウェイを使って下るという意味だ。

5月の晴れた日、鋸山に登ろうという話になった。夫と娘、高校生の甥も誘った。賑やかな、久々の遠出だった。いつだったか幼少時に登った記憶があるが、行きも帰りもロープウェイのみだったような。小さき頃の記憶は、私の場合当てにならない。

娘は5歳だが、過去にいちど別の山で登頂経験がある。その折はほぼ弱音を吐かずにアスレチック感覚で登山を楽しんでいた。切り立った山肌を見る時ほど目を輝かせたことはない。そして登頂した時の姿は、登り切ったという達成感ともう登らなくてもいいのだという安堵感が入り混じってるようだった。

鋸山は巨大な岩でできていた。そして山全体が日本寺と呼ばれるお寺である。各所に観音様や不動様がおり、夕刻になれば少々おどろおどろしさを漂わせそうな雰囲気があった。道は石が敷き詰められた箇所が多く、とても歩きやすい工夫がされていた。これまで経験した山の中でもよく整備がされていて、参拝客として訪れる人が多いのだと知る。

甥はもくもくと登っていたが、山に入ってすぐに、片足がつったと言い出した。足がつるとは登山において致命的である。
甥はインドアなため用がない限り出掛けないと聞いている。あまりの運動不足が祟って、とうとうつってしまったのかと思ったが、まだ入り口間近のためそんなに足を酷使したわけでもない。

まずはあっちの観音様、百尺観音を見に行こうとなり、4人でそこへ向かったところで、私は目を疑った。
ケセランパサラン。人はあれをそう呼ぶだろう。午後の斜光が入り混じるその空間に、無数の“それら”は飛んでいた。
飛ぶという表現が正しいのか、宙に浮いていて、漂い、その空間に当たり前のように存在していた。数にして千、いや、万を超える無数のケセランパサランが、人々の訪れを歓迎しているかのようだった。
そして右手を見上げれば、淡い光に包まれた百尺観音。どこか現実離れしたその空間に、言葉を失った。
私は隣の娘に聞いた。この白いものが見えるのか、と。娘は生返事をし、結局のところ夢か現実か、不確かな空間の中を歩くこととなった。

幻の世から抜けると、まだ足がつるという甥が心配になり、一緒にベンチで休憩をした。夫と娘は先に行ってしまった。しばらくして多少なら動けると言うので、また移動すること少し。なんともう一方の足もつってしまったという。
もはや可哀想を通り越して笑える状況であった。
両の足、しかも均等に同じ箇所、ふくらはぎをつったのだという。それほど痛むのか手すりまで使って登る始末。少し肩を貸したが、伯母の肩を借りるなんて恥ずかしいと思うだろうと、すぐに身を引く。痛がる甥、ぴょんぴょんと跳ねくるくると辺りを回る娘。

さっきから考えていたことがある。これはもはや無数に鎮座する不動様たちに「お前はもっと頑張れ」と言われているとしか思えなかった。彼はこの山に来てから、一種の"試練"を課せられたのだと感じた。
しかし、甥はまだ高校生。思春期であるかは不明だがそこは言葉を濁し。まあ、あれだね、ここはお寺だからと遠回しに伝えた。
5歳の娘は罰当たりにも程がある言動で、たまに現れる頭のもげた不動様を指差し数えながら楽しそうに歩いていたが、足のつることはなかった。

大仏様も拝見したかったが、ここまで辛そうな姿を見ては放ってはおけない。次回の楽しみにしよう。
今回は、行きも帰りも途中までロープウェイを使った。ロープウェイの入り口まで戻れば、そこはもうお寺の外。
境界線を出たところで「急に治った」と、甥が言った。

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