足利藩主時代の名残を残す
喜連川足利氏第10代の煕氏の命で、弘化元年(1844年)に防火と農業用水を目的として整備されました。散策路としての整備は一部のみですが、宿場内には縦横に流れています。内川の西河原堰からの用水は御用掘り、荒川の野辺山堰からの用水は横町掘と呼ばれますが、現在では総称して御用掘りと呼ばれています。
この御用掘は、県北部の高原山系を水源とし、塩谷町や氏家町を経て、早乙女・小入・野辺山に至ります。璉光院下や辻畑の水田22.5ヘクタールを灌漑し、百五十余戸の用水として農耕や日常生活に欠かせない水を供給していました。かつては清流として人々に親しまれていましたが、時代とともに河川は汚れ、現在では昔の郷愁を誘う静かな御用掘が残るのみです。
栃木県さくら市喜連川4491あたり