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水口城

甲賀にある東海道の53の宿場町のひとつ、「水口宿」。
水口城は江戸幕府3代将軍・徳川家光により、上洛の宿館として築城されました。

明治維新後、水ロ城は廃城となり公売に付され、角櫓(すみやぐら)が付近の商家に売却されたり、石垣の一部が近江鉄道の敷石になるなど建物や石垣の大半が処分されました。旧本丸は学校敷地となり、運動場として利用されてきましたが、昭和47年将軍家宿館遺跡としての価値が評価され、滋賀県の史跡に指定されたのを機会に、郷土のシンボルとしての保存整備への関心が高まりました。
また、平成3年11月に水口城資料を展観する施設として、往時の矢倉の姿を模した水口城資料館が開館しました。

<水口城資料館>
 明治7年に廃城となった水口城が復元されて、現在水口城博物館として公開されています。石垣の上に角櫓が復元され、美しい白壁を堀の水面に映しています。水口城に関する資料を展覧しています。

水口城の歴史

かつて水口には中村一氏が築いた水口岡山城がありました。
しかしながら関ヶ原の戦いで長束正家は西軍につき自害。
城はその後池田長吉の預かりとなったが、早々に廃城となってしまったんです。

江戸時代に入り、徳川氏の直轄地となった水口は、東海道の宿場町に指定されました。
その後、3代将軍徳川家光が寛永11年(1634年)、京都への上洛の際の宿館として、道中の水口に従来の水口御殿に替えて築かせ、これが水口城(水口御茶屋)です。
作事奉行は小堀政一(遠州)が務め、京都の大工頭中井家支配の大工たちが動員され、城内には二条城の御殿を模した豪華な御殿が築かれました。
しかし、この御殿が将軍の宿舎として使われたのは、この家光上洛の1回限りで、その後同城は、幕府の任命した城番が管理する「番城」となったのです。

天和2年(1682年)に加藤明友が2万石で入城し、水口藩が成立。
それまで、幕府お抱えの宿館として城番をおいて管理していたが、水口城は同氏の居城となりました。
鳥居氏が一時藩主となりましたが、再び加藤氏が2万5千石で藩主になります。
歴代水口藩は、同城を幕府から借りている城として大切に管理し、特に居城であるにもかかわらず、本丸部の御殿を使用しませんでした。
本丸御殿は家光上洛以後使われることなく正徳年間に解体・・・本丸は空き地のまま使用されることなく、明治維新を迎え、水口城は廃城とってしまいました。

甲賀市水口町本丸
近江鉄道/本線 「水口城南」 下車 徒歩 5分

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