勝山城跡

勝山城は、鬼怒川を見下ろす崖端城(断崖を利用して築かれた城)として鎌倉時代末頃に氏家氏によって築かれ、その後慶長二(1597)年の廃城までおよそ300年の歴史を持っています。現在の塩谷町から芳賀町まで広がる氏家郡24郷支配の拠点ですが、また宇都宮氏の配下として北辺を守る役割も果たす重要な場所でした。南北朝期から戦国期を通じては、芳賀駿河守が城主となっています。その間に改修が行われ、城の各所に堅固な設備が見られます。本丸は、内径で東西80メートル、南北70メートルの方形で一周する土塁は本丸内の高さ3~5メートル、堀底は7~8メートルあります。本丸左側の一段低い土塁部分が大手(正面入口)で、堀内に四脚の橋が架けられていました。大手北側の櫓台が張り出して横矢掛け(侵入する敵に横から矢を射る施設)の構造を備えています。南西部の搦め手(裏側入口、通用口)は土塁の折を利用した横掛けの施設と橋があります。

栃木県さくら市氏家1297

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