八郎潟
八郎潟には、かつて日本の湖で2位の大きさだった「八郎湖」がありました。
現在はその一部が埋め立てられてしまいましたが、その埋め立ての上にできたのが「大潟村」です。
「八郎潟残存湖」は、現在でも残っている八郎湖の総称です。
八郎湖は釣りのメッカとも言われており、ブラックバスなどを釣ることができます。
冬にな鯉、湖が凍る季節になるとワカサギ釣りが人気を呼んでいます。
氷の上にテントを張りワカサギを釣る様子は冬の風物詩とも言えるでしょう。
寒い季節に訪れたときには、ワカサギ釣りにもトライしてみましょう。
毎年5月に開催される「願人踊」も必見です。
この願人踊は260年前に伝えられた伝統芸能で、現在は「秋田県無形民族文化財」に指定されています。
力強くリズミカルに、奔放に踊る様は迫力満点です。
八郎潟の伝説 八郎太郎伝説
八郎太郎は、八郎潟の龍神です。大潟村唯一の神社である「大潟神社」には、天照大神と豊受大神とともに、八郎太郎大神が祀られています。
八郎太郎という若者がいた。ある日、仲のよい二人の若者と三人で、仕事のため山へ行った。八郎太郎が炊事のため、水をくもうと谷川の岸を見ると、イワナがいて、それを三匹捕まえておかずにしようと焼き始めた。うまそうな匂いがしたので、つい一匹食べてしまったが、あまりの美味さに残りも全て食べてしまった。ところが急に喉が渇き谷へ下って四つん這いになり流れに口をつけて、夕方まで飲み続けると、大蛇になってしまっていた。「こんな姿になり、もう家には帰れない、親たちに伝えてくれ」と二人の若者に頼み、八郎太郎はそこに十和田湖をつくり、そこの主となった。そこへ、南其の坊という修験僧が来て、「この湖こそわが永住の地」と、いい、八郎太郎と死闘した結果、八郎太郎は敗れ、南部へ逃げていった。鹿角へ戻った八郎太郎は、そこでまた湖を作ろうとしたが失敗。ひどくいらだっていたので、米代川をせき止めて、比内は一大湖水となり第二の安住の地となった。しかし、おさまらないのは八座の神様たちだった。ある日、七座の天神様が「この湖は、お前には狭そうに見える。男鹿半島の方に、広々としたところがあった。」といい、八郎の心は大いに動いた。米代川を下った八郎太郎は、今の山本郡琴丘町天瀬川付近にやってきて、安住の地、八郎潟を作った。しかし、冬になると一面に氷が張るので、凍らないところを探し、一ノ目潟を見つけた。そこで困ったのが一ノ目潟に住む潟神だった。潟神が武内弥五郎真康という弓の名主に、「八郎太郎を追い出して下さい」と頼み、それを承知した。狙いを定め、射こむと八郎太郎の右目を貫いた。八郎は「真康、この恨みは子孫七代にまで及ぶぞ、必ず半眼になると思え」と、刺さった矢を真康に投げ返し、左眼に当たった。八郎太郎は傷も治り、楽しく暮らしてる頃、田沢湖の辰子はカモの群れから八郎太郎のことを聞き慕わしく思った。そのことをカモから聞いた八郎は、田沢湖へ向かった。八郎太郎が辰子と仲がよいことを知った南祖坊は、無限の恨みをもって両雄の戦いがまた始まった。辰子がキノシリマスを投げて助太刀したところ、南祖坊は全身にやけどをおい、十和田湖へ逃げ帰った。こうして八郎太郎も八郎潟の永久の主になり、この物語にちなんでこの潟を八郎潟というようになった。
引用元
http://namahage.is.akita-u.ac.jp/monogatari/show_detail.php?serial_no=6294
秋田県南秋田郡
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